戦国時代にタイムスリップするのは良いけどたまには織田信長以外のところにも行けよ
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>>147
死後にろくでもない内輪揉めしてるところがそっくりやね 豊臣秀吉(農民の出です、コネありません、有力な親族いません) >>141
斉藤攻めにくっそ時間かかったけどそこから畿内取るまでは天地人全部揃ってる状況だしな
永禄の変時点で動けて畿内までいけるの織田しかおらんっていう >>133
そもそも現代人がタイムスリップしてもそこらへんで野垂れ死ぬと思うな
戦乱になって農民とかも半山賊の修羅の国なんだから
もし上手く仕官できてもパワハラとか理不尽が現代の比じゃねえだろうし現代メンタルが耐えられるんかね >>155
人間関係クリアできても衛生状態に問題ありすぎてあっさり病死もありそうやね 秀吉はタイムスリップ者がいたから農民から天下取れたんよ
晩年のアレはタイムスリップ者が去ったせいや >>151
将軍(天子)を他に持っていかれたあたりもええかんじや >>155
現代ですら負け犬なのにどうしてハードモードで勝ちのこれるのか 三好長慶は足利家の家臣の細川家の家臣という
ポジションなのに偉かったという分かりにくさあるわね >>161
実際本人も戦強くてなんか有能な弟も生えてたとかおかしいからな >>142
明応の政変だけ見て脊髄反射レスしてたわ反省 信長は生き延びても必ず朝鮮出兵するからな
宣教師に入れ知恵されてた >>166
南蛮びいきやから、カトリックがもっと広まってたやろな >>160
段階的に身分が短期で変わったからなあ
12歳で家継いだときは細川家陪臣
17歳で摂津半国もらったときは細川陪臣兼足利家臣
28で一度完全に独立(畿内国衆支持)
義輝帰京あたりから従四位下とかじゃなかったかな 逆に主だった戦国武将全員のところに誰かしらタイムスリップしててバトロワみたいになるの読みたい >>160
それ言い出したら信長の家なんか守護代ですらない又者やんけ >>150
信長は中日のオーナーになったこともあるからな >>173
三好or織田と足利の板挟みとか胃がしぬで >>160
足利義輝時代の上洛に応じた信長も義龍も謙信も陪臣で長慶牽制の意図があったとされてるんやで 信長が並なら尾張統一にもめっちゃ時間かかって一大名で終わってるよな 関ヶ原の小早川の陣地に迷い込んで東軍が勝つから安心して裏切れと言ったら歴史が改変されて東軍が負けたンゴ >>176
今川にやられてるかあっさり降伏してそう ノッブ=残虐ってなんでそういうイメージ作られたんやろな
それで得する勢力っておるけ? >>176
それこそ今川が尾張取ってるやろな
今川が三河を安定させた頃に信長がまだ信行とかと争ってたら負けや >>175
あれ牽制しなかったら自身の身分(守護やら管領やら) がゴミになるからな
そらみんな危機感もつ >>180
そら徳川よ
信康死んだのは信長のせいであってワイは悪くないでってやらんと儒教的にあかん >>180
仏教勢力敵に回したのと浅井朝倉きっちり滅亡させたあたりとか >>179,>>181
確かにそれだと今川に屈するしかないだろうから相当厳しいか >>186
今川来る前に斎藤シンパに押さえられてる可能性もあるしな.. >>184
簒奪正当化するために秀吉もだろ
信長=暴君って点だけは豊臣史観も徳川史観も被害が一致してた 関白やったのに甲斐や越後、九州まで行った近衛前久のところとか大変やけど面白そう >>181
今川が尾張取ってたら三国同盟安泰大勝利よなあ
あっ武田は上杉となぐりあっててください 信長のところに行くはずがうっかり斯波義銀のとこに行って足利再興を目指すことに >>180
一次史料やと信長が「根切する」って言ってたの本願寺と武田しかいないんやけどな 戦国時代ってマジで言葉何一つわからんのかな?
それともよく聞けばわかるレベルなのか 暴君ではないにせよこき使われてたのは間違いないし
秀吉にせよ家康にせよ織田諸将にせよいい印象持ってなさそう >>192
今川が尾張から伊勢まで版図拡げてる世界見てみたいわ
むっちゃ金で潤ってそう >>196
宣教師の作った辞書とかからすると割と分かるようや 江戸時代は寺が支配体制に組み込まれてたから信長は評価しづらいよね そういや英語はこの時代どうなんやろな
現代人がタイムスリップしたとして日本語は分かるとしたら通訳とかやれるんやろか 英語じゃなくてスペイン語のほうがいいんじゃないか? タイムスリップしたら明治以降にできた単語とかつい使っちゃいそうやな >>197
方面軍として担当地域あっても途中で別地域に派遣させられて働かされるしな
長島一揆にも比叡山焼き討ちにも参加してるし大なり小なり嫌気はさしてただろうね この時代だとキリスト教も仏教の一宗派の認識だったの好き
調べたら畿内でキリスト教はやったの長慶のせいなんやな >>202
多分通じない
ちょうど戦国時代あたりに変革期が来てるらしい
というか当時の英語ってイングランドくらいでしか通用しないしな 家柄無視で登用してくれそうなのノブくらいしかおらんやろ >>202
この時代聖職者は基本ラテン語やなかったか? >>208
異民族対策とかが理由で文法とか発音をめっちゃシンプルに変えたんやっけ? 妙な言葉を喋る変な髪型のやつということで弥助みたいな待遇を受けられそう >>208
ほぇ~サンガツ
確かに言われてみたらイギリスよりポルトガルやスペインがガンガン植民地増やしてる時代やもんな >>196
書き言葉なら仮名文じゃなければある程度いけるやろ
(慶長5年)1600年9月15日付伊達政宗宛徳川家康書状
今十五日午刻、於濃州山中及一戦、備前中納言・嶋津・小西・石治部人衆悉討捕候、
直ニ佐和山迄今日着馬候、大柿も今日則捕候、可御心安候、弥其表之様子、弥御仕置等尤候、恐々謹言、
九月十五日 家康(花押)
大崎少将殿
(慶長3年)1598年8月5日付徳川家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家宛豊臣秀吉自筆遺言写
返々秀より事たのミ申候、五人の志由たのミ申候たのミ申候、いさい五人の物ニ申王たし候、なこりおしく候、以上、
秀より事なりたち候やうに、此かき徒け候志由と志て、たのミ申候、な尓事も此本かに王おもひのこ春事なく候、かしく、
八月五日 (秀吉御判)
いへや春
ちくせん
てるもと
かけか徒
秀いへ
まいる キリスト教と浄土真宗って民衆を救済するっていう思想的にわりと近い部分があるからその分対立も深かったんではないかと個人的に考えとる >>209
織田家配下の羽柴
三好
あとたしか鍋島も身分に関係なく登用した話は聞いたことある >>209
松永が摂津の豪農の息子から帝の相婿、弾正忠任官、大和の大名までかけあがっとるし織田以外でも案外いけそう >>209
パッと出の農民を雇用した実績あるのノッブくらいやしね >>210
ラテン語は文語としては残ってるけど口語としては使われてないんとちゃうか 本願寺にタイムスリップして日本全国坊主の国&海外に坊主輸出する世界みてみたい >>209
武田四名臣の春日弾正も豪農の息子やしそこそこあるんちゃう >>12
あの津軽でさえ上方では馬鹿にされるのが嫌で屋敷から出たがらない
ここ悲しい >>217
教養があるかないかの違いはデカいと思う
松永も元は祐筆からの成り上がりだし
光秀の重用も武も優れてたけど京での文官的な役割がまず重要視されたからだろうし
だから秀吉はやっぱ異端 今川義元も武田勝頼も再評価されてて明智光秀も「内政はすごい良かった」みたいなエピソードあるのに、
未だに暗君裏切り腐れナスビから一切評価の変わらん小早川秀秋って凄くない? >>226
松永はどちらかというと状況やろなあ
長慶が摂津半国抑えた際に配下がほとんどおらんから身分気にせず登用したのがでかい
長慶が松永や鳥養とかを他の武家の名前次がせずそのまま重用したのは注目してええと思う 伊達政宗「OK…Let's party!」
ルー大柴みたいな口調の奥州筆頭⭐︎パーリィ⭐︎政宗
徳川家康「わしが一番上手く忠勝を使えるんじゃ!」
忠勝ロボ「🤖」 起 動 戦 士 ホ ン ダ ム
従来のイメージを覆すムキムキゴリラの秀吉🦍
豊臣秀吉「信長はわしが世の為成敗した!」
地響きと共に怪しい光を放つ大 坂 城
織田信長「猿めが…このわしを殺せるなどと思うたか!」(cv若本規夫)
空中浮遊しへし切り長谷部からビームを飛ばす魔王信長!
これが戦国BASARAの世界観だ!
佐竹義重「自分…不器用ですから」 イングランドの支配階級は概ねフランス貴族だったからフランス語を話してた、というのが13世紀辺りまでの話
そこから百年戦争で大陸領土を失ったりでだんだん貴族も英語を使いだして
ボキャブラリーとして教養の証だったラテン語も取りれられたりとか発音と単語の表記の乖離が起こってるのに直さないとかしてるうちにだんだん近代的な英語に近づいてうんちゃら >>229
これ英雄たちの選択で言ってたな
身分の低い有能を引き上げる戦国武将は多いけど普通は出世の過程で名家の養子になったりして苗字が変わる、松永は松永のまま出世させたのが珍しいって >>232
知られてないだけで実はどこかの家ついでたとかないんやろか
兄は内藤継いでるが 信長が身分にとらわれずに登用した理由に人手不足説あげてる人がおるけど三好もきっとそうよな
信秀時代から信長に引き続き家臣として仕えた奴を譜代としたら池田や佐々や河尻や平手くらいしか当てはまらないって唱えてたわ
賛否はあるやろけど林や柴田や佐久間盛次らが信行に付いてるから身分に関わらず登用せにゃ間に合わんのはたぶんそう 石成も松永と変わらん出自やし
この辺が消えずに織豊政権に取り込まれてたらどうなってたか気になるわ 信長ウキウキで草
(天正3年)1575年5月26日付細川藤孝宛織田信長黒印状
去廿一日合戦之儀ニ付而、被申越候、如相聞候、即時切崩、数万人討果候、四郎首未見之候、
大要切捨、河へ漂候武者若干之条、其内ニ可有之欤、何篇甲・信・駿・三之軍兵さのミ不可残候、近年之散欝憤候、
連々如申候、京都并江・越之儀付而、手前取紛候刻、信玄入道構表裏、忘旧恩恣之働候ける、四郎亦同前ニ候、
無是非候き、何時も於手合者、如此可得太利之由、案ニ不違候、祝着候、
此上小坂一所之事、不足数候、頓可上洛候間、猶期面之時候、恐々謹言、
五月廿六日 信長(黒印)
長岡兵卩太輔殿 >>209
始まりの早雲家臣団からして出自不詳だらけやん バサラの凄いところは開発がカプコンで関西企業よろしく秀吉はマッチョのイケメンなのに同じ大阪の本願寺顕如は金に汚い俗物ハゲ坊主というとんでもキャラな事
銭や〜銭やがな〜みたいなナニワ金融道みたいなコテコテの昭和関西弁だし
カプコンは本願寺嫌いなのか 武田は本人が有能なら身分無くてもワンチャンありそうよな
山本勘助とかあれ放浪してただけで実は名家の出とかなんかな 徳川は最後掠め取っただけだから描きにくい
信長みたいに戦闘を繰り返して領土を広げてるやつは描きやすい >>238
小林はそういうこと何も考えてないと思うよ >>239
放浪しながら足利学校とか京の名前忘れたけど学校にも通ってた説あるからそのせいじゃないの?
占星術とか易学にも通じてたっていうし
軍配者としてめちゃめちゃ重用される複数の要素持ってたことになる >>239
勘助の出自は分からんけど恐らく低い身分だったのを取り立てられたんやろうな
近年続々と勘助宛の信玄書状が発見されてて知行宛行状や敵対勢力への調略を任されたりしてるし有能だったのは間違いない
勘助が死んだ後二代目勘助宛の信玄書状なんかも発見されてる >>238
関西ってそんな秀吉推しなんか
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