ところが、天台宗の座主も務めた慈円(じえん)による記録『愚管抄』によると、頼家の最期は次のように記されている。

「頸ニヲ(緒)ヲツケ。フグリ(睾丸)ヲ取ナドシテコロシテケリト聞ヘキ」

 つまり、首に緒を付け、局部を切り取って無力化させて殺した。おそらく、刺客がなかなか殺すことのできないほど、頼家が武芸の達人だったため、暴れ回れないように締め付けた上で局部を切り落とし、苦悶しているところを殺したのだと考えられる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/36c3050e229b47945d2e7a4d21747a1610d97841