0001それでも動く名無し
2022/09/02(金) 06:50:12.45ID:9qM2gYuUM最近、平成時代の球界OBがこんな苦言を呈している。本塁打と打点で独走し、打率でもトップに立って、令和初の3冠王へばく進中のヤクルト・村上宗隆。「昔はこういう選手の内角を突いて抑えようとしたもんだが」と、OBたちはこぼすのだ。
村上を攻めきれない最たるチームがDeNAで、8月26~28日の3連戦では、村上に4本塁打を含む9安打9打点。敬遠1個を含む5四球を与えた上、14打席連続出塁も許していた。
ちなみに、村上のDeNAとの対戦成績は、8本塁打、22打点の打率3割9分1厘。DeNAの本拠地・横浜では打率5割に達している。
そのベイスターズも、昔はこうではなかった。前回優勝した平成時代には、強打者に内角攻めを繰り返していたのだ。
特に大魔神・佐々木主浩の前に投げていたセットアッパーの盛田幸妃は、内角を鋭くえぐるシュートが勝負球。巨人戦では落合博満や大久保博元がのけぞらされ、捕手の谷繁元信に文句を言っていた。最近、よく村上と比較されるゴジラ松井秀喜も、胸元への真っすぐを避けた拍子に仰向けに倒されている。
おかげでよく乱闘や小競り合いが起こったが、谷繁も盛田も「内角へ投げないで打たれて負けたら意味がない」と一向にひるまない。1998年に優勝と日本一を達成した権藤監督は、大差をつけられた負け試合でも最後まで内角を突けと指示していた。
「負けてもインコースを攻め続ければ、相手の記憶に残像が残る。嫌なイメージを植えつけておくと、次の対戦で優位に立てるんだから」
というのが権藤監督の考え。当時、斎藤隆(現DeNAチーフ投手コーチ)の真っすぐがすっぽ抜け、巨人・村田真一(元巨人ヘッドコーチ)の顔を直撃して骨折。逆に、谷繁がヘルメットが破壊されるほどの死球を頭部に受け、流血して昏倒したこともあった。
横浜だけではない。あのころは星野監督率いる中日をはじめ、広島、阪神、ヤクルトも「打たれてたまるか」とばかりに、打者の身体スレスレに投げ込んでいたのだ。
「ああいう戦いはやってる僕らも面白かったし、見ていたファンにもすごい迫力が感じられたと思う。今の投手にも村上とそういう勝負をやってほしいですね」
とは、平成時代の球界OBの希望。なお、死球を奨励しているわけではない。念のため。
https://news.yahoo.co.jp/articles/026074327aa6270bf4472fb7a015c2b52701ff94