新人の造反に議場騒然 100年前の国葬反対論 社会学的皇室ウォッチング!/46=成城大教授・森暢平
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220905/se1/00m/020/001000d

 南鼎三(ていぞう)と森下亀太郎を知る人は少ないだろう。大阪府選出の戦前の衆議院議員である。両議員の政治人生のハイライトは、元老・山県有朋の国葬に反対したことだ。反対は2人だけだったが、戦前に国葬反対が公然と唱えられていたことは注目されていい。

 まず南が登壇する。彼は、山県に対し「満腔(まんこう)の誠意をもって敬弔する」と語り始めた。ところが、国葬への国費支出は「遺憾ながら反対」だと述べる。その理由を南は、昔の道徳では死者に鞭(むち)するべきではないとしてその罪蹟(ざいせき)を荼毘(だび)の煙に葬ったが、世界的な公徳が発達した今、社会を毒する歴史をつくった人物へは死後も批判を向けることが義務であるからだと続けた。そして、1892年の総選挙での大規模な選挙干渉に関与したこと、元老という地位を利用し政変ごとに政党の発展を阻害したことなど、山県の非立憲性を具体的に批判していった。

「国費でその最後を飾るという政府の考えを私は理解できない。それは官僚・軍閥が行うことで国民全体とは関係がない。むしろ官僚葬・軍閥葬にするのが適当だ。東京や他の都市農村では餓死する国民も少なくない。親の葬式さえ出せない貧しい人が増えている。こうした人びとにも国葬に香典を出せと強制するのが予算案の精神である」

 ちょうど100年前の議論のなかに、現代と通じる点があるのが興味深い。

 議場は、新人の造反に騒然とした。「生意気なことを言うな」「黙れ」「何を言っているのだ」「つまらぬことはよせ」「ノー、ノー」「売名漢」と多数のヤジが飛んだ。議長は途中で「あまり他人の身上にわたって議論することは許しませぬ」と警告した。

 森下も登壇した。「山県公を、憲法政治を阻害した政治的罪悪の中枢、憲政の賊だと考える国民もないわけではない。国葬はこれらの国民にも礼拝を強いるものだ」。こちらもなかなかに厳しい。

 そして採決である。衆議院の当時の定数は464。南、森下を除く出席者が起立し、議長は「南鼎三君、森下亀太郎君を除くのほか一致賛成でございます」と可決を宣言した。