0001それでも動く名無し
2022/09/10(土) 08:35:15.27ID:F0VV99SW0https://news.yahoo.co.jp/articles/176d22ed515e9ef77e8eaf5306f66ac8c50ed091
「浅村が18年にFA宣言した際にも、楽天と最後まで獲得を争っていました。ネックとなったのが、当時監督だった工藤公康さんの存在だといわれます。浅村の若手時代、工藤さんは現役投手として西武に在籍していました。
しかし2軍の打撃コーチだったデーブ大久保さんとともに、一部の若手選手からは疎まれていたそうです。そうした事情から、浅村は工藤さんの率いるソフトバングを敬遠したのではないかといわれています。