0001それでも動く名無し
2022/09/14(水) 12:23:16.51ID:77mM3Uzta大村コーチもまた、そんな糸井に情熱的な指導で向き合った。もちろん気力の限界にも直面する。当時の関係者によれば、夜間練習で「もう無理!」と音を上げた糸井に「おまえ、クビになってもいいのか? 今のままならクビだぞ。どうする?」と切り出し「じゃあ、終わりな。クビになっても俺は知らないから」と、糸井を突き放したという。「待ってください。分かりました。やります。やりますから…」。糸井はそのたびに涙を流して懇願し、泣き叫びながらバットを振ったという。
当時の鎌ケ谷では、深夜に糸井の奇声と大村コーチの怒号が交わる声が響き渡るのは日常茶飯事。当時を知る日本ハム関係者は「ウチの(鎌ケ谷寮の)室内の周りに民家がなくてよかったよ。近所迷惑で絶対に通報される(笑い)。隣の寮で寝てても2人の奇声はしょっちゅう聞こえてきたからね」と言うほど。そのまま夜明けを迎えることもあり、文字通り24時間野球と向き合っていた。翌日は寮で仮眠を取り、午前8時過ぎには二軍戦のグラウンドへ。上半身に着るシャツは汗をかくたびに着替えたが“徹夜”をした日は、ユニホームのズボンやスライディングパンツは前日のままで、グラウンドへ飛び出して行ったこともあったという。
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