なんg民、応仁の乱を説明できない
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全て網羅した説明は無理やろ
敵味方入れ替わったりさ そもそも日野富子が息子を将軍にしたがりたくて山名宗全にすがったとかも嘘やしな >>9
伊勢貞親赦免→足利義視出奔→帰洛→西軍に逃げ込むやからな 便宜上ひとつの乱としてるだけやからそらそうよ
基礎として足利幕府のグラッグラな支配体制があることを知ってないとカオスにしか見えない >>14
勝者は義尚と東軍や
大内政弘も降伏したし >>15
守護の権限って思った以上には強くないらしいで、地方と中央政権を結ぶ取次役みたいな感じやったらしい >>19
それにしたって運悪く御家騒動が連発しただけでこの状態は棟梁としてアレすぎませんかねぇ… 要は跡目争いの後見人同士が大規模な戦をしちゃって
それ見た他の守護大名たちも「幕府は落ち目やな自分らで色々頑張らなアカンわ」と戦国時代に突入したって感じに捉えてええの? 京都であった戦いで都の力が無くなって地方武将がやりたい放題になり戦国時代に突入のきっかけになった戦争 >>16
後花園の基盤が弱かったのもあるよな、後小松天皇の猶子というかたちやったけど後小松天皇も死んだし >>21
畿内に戦国時代が到来するのは明応の政変以降や、六角征伐にも諸大名はついていっとるし >>26
ほーんまだ少しプロセスを経ないとアカンのやな >>22
そもそもそれ以前から地方の土豪とか国人勢力はやりたい放題や、守護に組織的に仕えてただけで家臣というわけではないねん 西東やなくて元々仲悪い奴らがこれを期に殺しあってるだけ なんのことか知らんけどカッコいい歴史用語第一位
六波羅探題 >>36
永禄の政変までは意外とあったで、義晴期にも御内書を送りまくって桂川合戦の時とか幕府軍数万も集まっとるし >>32
彼ら的には裏切りというよりその連中に最も都合のええとこについてまわってただけやで
政権というよりもっとミクロなとこが本質的な争点やから敵味方の構成で論じても無意味や >>31
畠山義就の動向は謎が多いけどな、伊勢貞親の味方しようとした時もあるみたいやし 義政は政治にやる気がなくて退位したがってた→院政する気満々で権力の亡者
モンペ富子が我が子を将軍にしたくて圧をかけた→後世の創作
有力な大名同士の後継争いが重なり合って全国規模の戦乱になった
衰退してる幕府にはこの争いをコントロール出来なかった
というだけの話で
将軍の後継争いは分かりやすくするために持ち出されたスケープゴート
ってことやろ? 参加してた当人たちですらよく分かってなかったんだし… >>49
正確には途中から敵が誰か分からんようになった、やな >>34
禁裏御守衛総督もなかなかカッコいいと思う >>8
嘘まで混じってんのかよ
したい放題やなおい >>38
滅茶苦茶な旦那のかわりに組織財政運営してただけなのにボコボコに後世言われるかわいそうなおばはん >>46
これを描いた応仁記は高国期に作られたやつやししゃーない
細川家臣と畠山家臣の衆道関係を強調するためのものやし これよりも童貞管領が起こした政変のほうが重要な模様 この時期の幕府で伊勢伊勢守が重要な人物だというのは新九郎読んで初めて知った >>55
政子もそうだけど、女が政治やってるととかく悪く言われがち >>59
おもろいしなかなか初心者でも読みやすいで 京都人は戦争って言えばww2じゃなくて応仁の乱らしいな 研究者も細かく追ってくと混乱するから大まかな流れ掴んでおけばいいみたいなスタンスらしい 呉座とかいうフェミに殺された有能研究者
今裁判しとるけど復権してほしいわ 土煙の中でボコスカ殴り合って最後に出て来た奴を知っててば良い定期 >>50
南北朝~室町初期とかいうマジもんの滅茶苦茶はおもろいで
ドグラマグラ読んでるのと同じ気分にさせられる >>50
聖徳太子とか大化の改新あたりをネットリやってどないすんねんとは思う
しかもやたら覚えてるし ちな覚え方は「1221(ヒップに一撃)承久の乱」な >>34
東京リベンジャーズでも三大のうちの一つっぽいし優遇されてる >>61
猛虎って何故か海外人気あるよな
歴史ゲーの日本代表北条やで >>61
そのへん熱い扱いなら蘇我氏物部の争いも熱い扱いでええやろ この辺裏切りばっかりでおもろそうやけどあんま題材にされんな 英雄たちの選択 呉座回だけ再放送せんのホンマ勿体ない >>65
ダジャレだけど応仁の乱以前の建造物ほとんど焼かれてあまり残ってないしな 刀伊の入寇って蒙古並みにヤバそうなのに全然話題になってないよな >>72
まあ聖徳太子はお札になってよくわからん伝説が尾ひれついてるしなあ >>88
それ以外に地方でも謎のバトル起きてるからな そう考えたら関ヶ原の戦いは綺麗というか終わらせ方がうまい戦争なんかな
やっぱ徳川家康ってすげえわ 通は小野寺官兵衛みたいなコピペが必要やと思う
あれでなんJの戦国人気増したやろ ちゃんと説明できる奴がいたとしたらこんな所にいちゃいけない気がする 足利成氏と西軍が接触してた文書も見つかってておもろいわ >>92
知らんうちに話がでかくなってどうしたらええかわからんかったわーとか口を揃えて言いそう >>62
政子は誉められてるんだよなあ
江戸時代から悪く言われるようになっただけや
冷酷さや嫉妬深さに関しては事実やけど他の権力者も似たようなもんやからな >>55
旦那は文化人としては有能とか戦が嫌いなだけで悪い人間じゃないって言われるけど
あんな時代に自分の庭づくりなんかに散財してる時点で碌でもない人間なんだよな こんな認識でええやろ
関東でもなんか戦ってます
スネ夫の先祖みたいな奴がいます
山口から殴り込んで来たやつが最強です 細川と山名の争いが何故かいつの間にか細川の家督相続争いになってるやつやろ? >>62
武則天も苦しんだのは性的だけで平民にとっては普通に善政と聞いたな >>102
六角も前期くらいは分家の京極に介入されたり当主の兄と隠居のパッパ殺したりしたりしてゴタゴタやったけど後期はなかなかうまいことやっとるよな >>95
それも戦ってた当人たちはあんなあっさり決着つくとは思ってなかったんだけどね >>95
あれははじめっからタヌキ(武官)とミッツ(文官)の豊臣家臣内部抗争やから二分しやすい戦いやった
同じ東西戦でもコレとは全く違う 赤松が足利義教殺さなければ幕府の権力上がって安定してたよな >>103
義政はやる気のある無能感があるけど義満と似た手法を取ってるけど近臣を重用しすぎて軋轢を生んでしまったな 中国の八王の乱並みにややこしくて詳しく覚えられない >>118
勝手に戦争してもいいんやって空気になってたんやろね >>95
豊臣内の政争やから処理もしやすかったんちゃう 関ヶ原って小早川裏切らんでも終わってたし
意外と天下分け目感ないわ >>115
義教がむちゃし過ぎなのもだめだったけど兄貴が親父の逆張りし過ぎだったのもあかんかったね 畠山も細川も山名も斯波も衰えるとかほんまやべえよな >>117
あれはラスト3人になるまではまだわかる
気づいたら司馬穎と司馬ぎょうが負けてるとこがわけわからん 幕府内で政争してたら今川や武田や北条地方大名が台頭してきた
こんな覚え方しか出来ん >>123
名将武田信玄、先に長男を殺しておくことで問題解決する >>115
あれはしゃーないと思う、義教も幕府の体制を整えたりして手腕はあったけど今までの矛盾の積み重ねが爆発してしまったよな、畠山満家が長生きしてたらとは思うんやが >>126
義教は強引やけど信長のような革新的で現実的な政策を行ってたよね >>93
関ヶ原の時も地方で小競り合い勃発してるよな
九州大名は鍋島とか相良とか途中で東軍に寝返ってるしどっちにつけばお家存続できるかって当人たちも分かってなかったんやろな 応仁の乱のときの関東マジで意味分からん動きしてる
どれだけ読んでも把握できへん 最盛期の義満からちょっと経てばもう幕府の地盤が揺らいでるのがどんだけ政権基盤雑魚かったかわかるわ
所詮連合政権やったんやなってな >>62
政子も結構やることやっとるからなあ
比企家滅亡の件とか藤内の件とか
13人じゃマイルドになっとるけど結構直接関わっとるやん政子が >>133
でもあそこまでやるのは周りに殺意持たれるよね >>137
斯波とか畠山、細川みたいな近国守護は基本的に在京してるからそれでええんや、分国が飛んでるのも別に力を削ごうとしてやってるわけやないし >>113
呂雉は善政といっていいレベルやったんちゃうの
粛清が凄惨だっただけで >>123
今川義元は4男のくせに兄がどんどん急死していったから裏で太原雪斎とかが悪さしてるよな さえぼうはもちろんアレなやつやけど呉座のTwitterも池田信夫とかネトウヨ系ツイートの賛同リツイート多くてヤバかったのは間違いない
研究だけしてれば良かったのに >>133
信長は意外と保守的やねん、右府に任官されたけど朝儀には出席しなかったりとあんまり朝廷の礼儀作法も知らんし 呉座勇一の乱のときに知ったけど磯田道史で抜いてたなんJ民が居るって情報が怖かった >>88
西の室町幕府(足利兄)と東の鎌倉公方(足利弟)が対立
鎌倉公方は関東と東北を治める幕府の出張機関で将軍になれなかった足利氏の次男などが勤める
その内仲が悪くなり対立し永享の乱勃発
鎌倉公方4代目の足利持氏と息子は自害に追い込まれる
これに対して一部の関東の武士団が怒り報復合戦が勃発(結城合戦)更に鎌倉公方が取り潰されて公方を補佐する役職だった関東管領が台頭
関東管領の上杉氏が分裂して内戦勃発
関東の内乱が東北と東海にも飛び火
そのままズルズル戦国時代まで続く
多分こう >>135
そこまでは権力持ちました→負けたかハメられて死にました、の割とワンパやから覚えやすい
正史三国志のやる夫すれとかまだやっとるから読んでみてもええかもな 専門家に400字で説明させたらどこ書くかバラバラになったりしそう 戦国時代も織田豊臣徳川を軸とした勝者の歴史以外グッダグダじゃね? >>138
鎌倉公方とかいう関東軍がいる修羅の諸国やぞ
筋道があるのは各家の少数の当事者の利益追求の面だけで俯瞰して見たら訳がわかるわけない >>146
みんなが幕府に逆らわなければ上手くいったのに >>113
呂雉も死んだ後に呂氏が負けてなければ評価変わるで 室町時代の将軍は有力家臣を利用して権力を安定させて
その家臣が力を付けてきたら焚き付けて叩くってやり方繰り返してるしどうやっても戦争は起きるよな >>123
兄が居たけどワイのほうが有能やったからあと継いだわ >>151
なんであんな頭の良い人があんなアホな事したんやろか 義教ってあと一歩で将軍専制体制を確立出来てたってマジなん? 細川と山名が争ってたらいろんなやつらがそれに便乗してきたイメージ >>167
小弓はもっとあと、信長の野望の初期らへん
そんときおったんは堀越や >>114
そうなんやな
まあ嫌われ者代表の三成vs大正義家康みたいな傍から見ても分かりやすい戦いだったしな >>146
まあお飾りはお飾りでいつ殺されてもおかしくないからどっちが良いかわからんな >>160
元々室町幕府の組織がああいう専制に向いてないからしゃーない
直轄で動かせる駒がないし 今ジャンプでやってる逃げ若って応仁の乱の漫画だよな?
まだそこまでいってないけど >>165
性格がぶっ飛んでたからいつか死んでたよ
機嫌が悪いと難癖つけて誰でも殺したらしいからね
嘉吉の乱起こした赤松満祐も弟が義のりに殺されて自分の番になる前にこっちから殺してやるぜ!って決起したらしいから 関ヶ原は布陣の段階で西軍の負け濃厚だったのがその通りになっただけなんだよなあ >>174
室町幕府と守護権力、室町幕府と地域権力あたりはおすすめや、あと定番の応仁の乱と室町殿の時代がおすすめや 専門家に文字数決めて説明してもらっても割れそうやな
それとも流石にもうポイントポイントは決まってるんやろうか >>169
もともといろんなやつが争ってて勝手に山名と細川に頼ったせいで二分されたイメージ 戦国時代に入って世が乱れたんじゃなくて逆に乱れまくってた日本の権力が統一されて行った感じなんやな 応仁の乱で足利が分裂して争って細川も分裂して争って足利もまた分裂してあらそってなんやかんやとめでたく終わった戦国時代 >>178
早雲に負けたのはあってるけど
暗殺やなくて伊豆で割と抵抗してた説もあるな >>178
茶々丸の最期は謎が多いわ、自殺したとか殺されたとか言われとるし 応仁の乱で日本が荒廃して戦国時代になった程度しか知らんわね >>189
武田を頼って甲斐に逃げて抵抗したとかも言われてらしどれが真実がわからんよね >>172
正確には首謀者は三成じゃなくて三奉行(増田・長束・前田玄以)&毛利輝元やけどな
三成は首脳の一人ではあるけど首謀者ではないな 中学の頃ただの内輪もめがアホばかりで発展してしまっただけって知ったかぶりしたら先生にお前よく勉強してんなって褒められた思い出
ちな今も応仁の乱のこと理解出来てない なんでここらへんの時代って大河で扱わないんや?
めっちゃ面白そうやん 呉座勇一の本、奈良の坊主の諍いから話始まってて草も生えない SCRAMBLE MATTER? 10/03 15:42 >>190
>>195
すまんかったあれちゃうんか
こっから応仁の乱になるんか? てかちゃんと全部説明できるやつなんかこの世に一人もおらんやろ >>193
茶々丸は元服もしてないんかな、諱も謎やし
小山若犬丸みたいに指導者としての神秘性のために敢えて幼名のまま貫いたのか >>181
そんなやつでも将軍殺しの赤松はきっちり報復されてるんだよね 鎌倉幕府倒幕の功績で後醍醐天皇 新田義貞 足利尊氏 楠木正成は有名だけど軍功第三と呼ばれた東北で兵を挙げた結城宗広はめちゃくちゃマイナーだし
かなり性格に難があって機嫌が悪いとその辺の人捕まえて首を切ってその切り落とした生首を見ると落ち着くというすげえ人だったみたいで楠木や新田ほど人気がない
足利義教も同じタイプだな
有能だけど性格がヤバイ カジュアルに紹介すると伊勢貞親無視するからわかりにくいんやないか >>197
筋道だった話を作るのが難しい
花の乱でやったことあるけど 北条早雲は大河やっていいと思うけどな
ゴールもわかりやすいやろうし >>201
尋尊とかはどうや?傍観者目線の大河とかおもろそう
大乗院寺社雑事記とかいう一級の史料も残っとる >>188
奇襲じゃなくて北条早雲に勝ち目あるんかな >>196
それほんまによくまとめられた結論やからそらそうよ
治安維持ができない状態で方々が北斗の拳してるだけやから乱という単体で理解しようとしても無駄や >>191
実際には明応の政変以降幕府が機能しなくなって戦国時代って感じやね >>204
嫌われて烏帽子親に誰もなってくれないっていうのも謎やし記録から消えてるだけで諱ぐらい持ってそうなんやけどな 幕府の権威が落ちたせいで回復するには義教みたいなめちゃくちゃな強硬策やるしかなかったよね >>207
カジュアルに説明しようとするのがそもそも無理なんとちゃうかな、 この乱の主力だった家も室町末期にはほとんど落ちぶれてるのが悲しい >>181
そんなのデマだろ
悪いやつだから死んで当然みたいなやつ
目障りなやつは悪党にしたがるだろ 応仁の乱やりながら関東は関東で、奥州は奥州でドンパチやってたという… 3大ドラマで人気ない日本史
室町末期
江戸中期
あとひとつは? >>225
俺たちの冒険はこれからだエンディングでいくんか 平氏←わかる
源氏←わかる
藤原氏←わかる
橘←???? >>226
奥州ほんま知らんわ、奥州探題の権限クソ弱いんやろ >>231
細川頼之とか義満とかいっぱいキャラおんのに 義稙が復権途中で野垂れ死ぬか
調整能力高くて子供おればもうちょっと幕府も長持ちしたんやろけどな
政務能力低いのにバイタリティ最強とかいうモンスターなのが悪い 通貨の発行もロクにできん、そのくせ実質代用通貨だった米や土地の計算もクソガバや
乱れる前から幕府の統治力なんてそんなに無かった >>230
長尾が上杉に落ちぶれた後に関東管領押し付けられても
ちょこちょこちゃんと越後から関東まで遠征してんのすごいと思う >>236
室町初期からもうややこしいよな、奥州管領が4人もおるし南朝勢力もおるしどこよりも複雑怪奇 京都の悪口が回りくどいのは応仁の乱が原因ってほんとけ? >>240
他氏排斥あたりのドロドロ具合クソおもろいんやけどな >>223
伊達のマー君の隣りの弱小大崎さん家が足利本流斯波氏奥州管領家という超名門で草生えますよ >>245
三好長之がおったな、阿波守護細川成之の被官やったけど徳政一揆を扇動して幕府にキレられとった ノブヤボじゃなくて応仁の野望を作ってくれたら覚えるわ >>226
戦国時代中後期の関東の動きがさっぱり解らへん
秩序あったんかなあの地域 >>248
なんなら輝宗を誘拐することで有名な二本松義継の二本松畠山家は奥州管領の末裔で畠山嫡流とされてたくらいやからな 年代と名前はみんな知ってるけど何が起こったのかは誰も知らないという 1467年をジューシー胸毛で覚えたんやがどうしとる? >>227
江戸中期は微妙に人気あるからちょくちょくドラマやってるぞ 対立が複雑すぎて、その上長いから覚えきれなかった記憶 >>236
伊達成宗の頃やっけ?
この頃は大崎とも仲良かったんやな伊達
大崎の内乱の時に伊達が大崎の味方しとるよな
政宗ん時には何回か合戦やっとるのに >>251
謙信が関東管領になってからは合従連衡を繰り返して謙信が越後に帰れば北条と親しみ謙信が関東に出てきたら謙信と結ぶを繰り替えてしてるな >>260
石虎とかいうどこから切ってもおぞましい稀有な金太郎飴 大崎「斯波です」
最上「斯波です」
石橋「斯波です」
高水寺「斯波です」
なんやこいつら >>266
上野の国人ほんま板挟みすぎてかわいそう 義昭って「わ、ワイは将軍家やぞ😡」ってやってただけで明治まで家残ってんのすごいよな >>274
ほんま顔に泥を塗られそうやったらすぐに殺すからな なんG民以外も大半がそもそもの発端からどういう思惑で諸侯が西軍と東軍に割り振られたかとか全部を全部は説明出来なさそうやからしゃーない >>253
遡り続ければこの前時政ジッジに殺された畠山重忠の嫁にまでたどり着く事実(足利性畠山氏) >>274
夫に先立たれた寡婦がわらび粉ちょっと盗んだ結果子ども諸共撲殺される程度には治安維持できてるぞ😤 大内とか畠山とかが後の戦国時代で滅亡
細川も管領家は滅ぶ
応仁の乱はプロレスで戦国はガチンコやな 小田氏だけ古河公方の連合軍にちゃんと加わったの好き >>275
斯波義淳あたりまでは幕府内でも権勢を誇ってたけどそれ以降はあんまりやね、
奥州でのほうが力あるのは確かや ワイセンター日本史100点取ったことあるけど応仁の乱完全に忘れたわ >>274
これも全部桓武が軍団解散してしまったからなんや😭 >>282
京兆家は秋田藩の家老格でニセモンの細川は近世大名やからな、 >>274
髪のヒモの納期が遅れただけで結果的に名家同士が合戦起こしそうになる素敵な時代や😉 応仁の乱で面白い本出した呉座が現代で応仁の乱引き起こしたの草 >>248
浪岡北畠→北畠顕家の末裔を名乗る 南部氏の庇護下
南部→清和源氏 甲斐武田氏の同族を自称
最上→足利氏分家の奥州斯波氏の末裔
伊達→奥州藤原氏の末裔を自称
奥州石川→清和源氏
田村→坂上田村麻呂の末裔を自称
佐竹→清和源氏
鎌倉以前からの土着勢力
工藤 安東 葛西 大崎 相馬 二本松 小田
名門のバーゲンセールやで東北は 太平記リメイクしてくれんかな
実況も盛り上がるやろ >>251
小田氏治って大名が上杉(長尾)と戦ったり北条と戦ったり、佐竹と戦ったり、結城と戦ったりしとったで
てか謎なんやが一回上杉勢に加わって北条攻めた小田氏治が今度は北条と手組んで上杉攻めたりしてて
そういうとこあんま気にしないんやなって思った 室町時代ってようわからん創作物でこの時代を舞台にしてる有名なのって一休さんぐらいだから
この時代だけ日本の時代のことやのになんか馴染みが薄いわ >>291
鎌倉炎上とオトウトヲコロシター😭が再現不可能やからやめとけ >>277
残ったのは関東公方系の喜連川と堺公方(義維系統)の平島公方だけや 南北朝が天皇を傀儡にして自分の好き勝手やってたの
応仁の乱は天皇の権威とか建前みたいなのも無視して好き勝手やったって認識でいいんか? 斯波も畠山も奥州が嫡流って事は権力が届きにくい東北は何としても抑えときたいみたいな理由があるんかな
確か北畠も奥州にあったのが嫡流じゃなかったっけ >>300
東軍は室町御所に後花園天皇とか入れたりしてるし西軍は南朝の末裔を天皇として擁立したりしとるし蔑ろにはしてないと思うで >>291
義満やって欲しいわ
良い感じに年齢重ねた陣内さんに晩年の佐々木道誉やってもらいたい 近世になっても都市を城塞で囲むって概念がないくらいだから
昔の日本って誰も守ってくれないよな
なんJ民なんて5時間で身ぐるみ剥がされて3日後には死んでそう >>292
尼子経久「京極材宗の息子の吉童子丸の後見人になったけど吉童子丸行方不明になったんでそのまま出雲貰っちゃいました」
↑
こいつよ😧 >>303
幕府は東北が荒れたら鎌倉府に統率せいとか言うけど、鎌倉府に統率が取れるようになってきたら離反させようとするしどっちつかずの遠方融和策を取ってたと思うで 楠木正成と佐々木道誉のダブル主人公で大河して欲しいわ
高師直とか最高なキチガイで出して欲しい >>266
ケンカしてもSEXして仲直りみたいな感じか >>308
大寧寺の変は義隆が山口に天皇を行幸させようとしたとこから発生したらしいで、陶一派は上洛したかったようやけど >>306
どこかに所属してない奴はガチのリアルに人権ないで
道中で邪魔やからというだけで浮浪児がぶっ殺されても誰も助けんし裁かれもせん >>296
一休さんを大河でやるべきだな
義満の時代から応仁の乱終結まで生きてるし室町中期を一気に網羅できる 尾張守護←うん
武衛家←ほーん
奥州斯波氏←言うなれば土佐一条氏みたいなやつ
ハイブランドから出て来たお手頃価格の商品みたいで好き >>314
俯瞰的に見ようとするからアカンのや
誰か一人の視点に定めればもう少しわかりやすくならんかな 今だと楠木北畠新田はどういう俳優がやるやろか
道誉だけは陣内がええな >>320
あんまりないな、護熙の先祖の細川幽斎の養父は細川晴広やけど晴広の先祖は佐々木氏らしいし 誰か一本にまとめた解説動画出して?
あるなら教えて >>324
戦争だらけになって時間も金もかかりそうだけど大丈夫なんかね >>328
数日前に呉座先生が応仁の乱の説明をする動画上がってたで
3時間くらいやったけど >>328
応仁の乱の文庫本を買って読みながら見るのおすすめするで 敵だと思ったら味方とおもったらやはり敵であったと思ったら味方というのが応仁の乱 かつて応仁の乱から大坂の陣までの時代を遊ぶストラテジーを出した会社があるらしい
なおニッチ過ぎたのもあってあまり売れなかった模様 >>334
そのうち大河の主役やると思うけど、誰役が合うやろね 大河ドラマではなく最初から昼ドラだからしゃーない
1年間の昼ドラを説明するとか無理だろ >>335
厳密にいうなら敵(少し前味方やったけどその前は都合の悪いやつででもそのちょっと昔はついてた方がお得やったけど最初はぶっ殺不可避)をつぶすでーが乱立した状態やね >>342
それは入り苗字したやつの子孫に養子入りしたパチモンや >>335
家族が味方だと思ったら敵で、家老を信じたらそっちも敵だったし、となりの敵は最後まで敵だった 盛り上がってるとこ悪いんだけど分かったからなんだっての? >>348
備中とかでてくるやろ、それがややこしいイメージしかないねん 花の乱で後半に細川政元出てきたけどインパクト強かったわ 足利義尚って絵は割とイケメンやし出陣してるし有能な素質はあったように思える 戦国史は信長中心にみるとわからんけど
将軍家と細川家の分裂を中心に
抱き込まれる大大名みたいなかんじでみると結構わかりやすい できるやつのほうが少ない
この時期の資料を研究すればするほど定説がコロコロ変わる 勢力コロコロ変わるって意味ではGoTみたいな群像劇としてドラマ化したら面白いかもしれない >>345
ガラシャガイジって本流の細川とは無縁やったんか >>354
まあでもなんで肥後細川が和泉下守護の史料いっぱい持ってたかわからんし実父の三淵晴員が和泉下守護細川元常の兄弟やって説もあるけどそれもまだ謎や 細川政元って変人すぎやろ
ガキ作らないくせに無駄に養子取って後継ぎ争い絶対起こるの分かってんのに 斯波氏(武衛家) 尾張・遠江守護
尾張57万石・遠江26万石
今川氏 駿河守護
駿河15万石
戦ったらどっちが勝つと思う? >>360
今谷説は根強いけど批判されまくりやしな 多分戦ってる当人達も何をやってたか分かってないからセーフ >>367
あれは致し方ないんや、説明するのはくそむずいけど 応仁の乱のこと書いてあるいいサイトない?
このスレ見てたらもっと知りたくなったわ 当時の貴族が日記を書いてないと分からんのばっかりや
書き残してるのが凄いんやが ただし応仁の乱を説明できない場合は関東の情勢でも良しとする >>374
YouTubeの古事鏡って人の解説なかなかわかりやすいで、サイトはあんまわからんわ >>365
まずパッパである藤孝が養子やしな
まぁ古今伝授の相伝を受けてるくらいやしパッパの方はあの時代の風流人として見たら何だかんだすげー奴やわ これコーエーでゲーム化するならどういう風にすると面白くなるんかな? 大河三好長慶は面白そうやけどバッドエンドだからダメですね >>375
この時代は幕府が公式にまとめた史料みたいなのはないからどうしても日記頼りになるんよな、それと権力者の発給文書とかも重要な史料や >>364
藤堂高虎も大河ネタまみれよな
やるんであれば大河を機にギリワンの風潮覆してほしいわ >>380
京都は別の地図にしないと無理やないか、 キチガイ共が各地で暴れまわって収拾つかんでええやろ細かく説明する必要ないわ これは巧妙な新九郎ステマスレ
>>374
新九郎買うのだ いつからいつまで→わからない
総大将は誰?→わからない
どっちが勝った?→わからない >>383
秀吉もバッドエンドなはずやけど
いいかんじに後半ぼかせばいけるやろ >>383
忠臣松永久秀でやった方が面白そう
最期は脚色として信貴山城平蜘蛛ボンバーマンイベントで 明応の政変から秀吉の天下統一まで約100年てめちゃくちゃ長いよな
ずっと隣国同士で殺しあってたわけや >>393
山川の教科書の欄外にちっちゃく書いてたの覚えとるわ
それでも普通に入試とかで出とったし欄外でもしっかり読み込まないかんな >>401
なんなら国内で争ってたのがほとんどやな >>395
畳の上で死ねたし跡継ぎも育ったしハッピーエンドやろ >>393
東大の入試にたまに出るから覚える必要はある 原因が両陣営同じ時期にサクッと逝くから収拾つかなくなる >>404
宗全が死んでからパッとせんよな、一応信長期まで残っとるけど >>392
家督相続のたびに内乱起こすのにその度に有能な家臣が出てきてなんとかする御家、なお家督相続で内乱を起こさなかった当主は家臣に殺され御家は潰れた 応仁の乱専門家でもよく分かってないから大河無理なんかな
だったら日本史で一番面白い戦国時代をHBOのローマみたく信長から家康が江戸幕府作るまでを主人公交代方式でNHK作れや。
金は死ぬほど余ってんだからこれぐらいの大河ドラマいけるやろ ニコニコ動画に戦国時代の始まりみたいな動画あったけど
5年位更新されてないから萎え 斯波
細川
畠山
一色
赤松
山名
京極
並べてみると三管四職も明暗分かれるな 南北朝から室町の九州はなんと言っても九州を統一して岡山まで攻め上がった菊池武光だからな
黒田官兵衛?加藤清正?誰だいそれは… 鎌倉公方系は江戸時代大名として一応存続したという事実 武田が褒められてるけど勝頼って1回諏訪家になってない? >>423
ちょうど尊氏に認められなかったシーンからで掴みばっちりやな >>316
・義隆が再上洛を計画していてそれを陶らが止めるため
・義隆が天皇の山口行幸を画策してそれを陶らが止めるため
とあるけど後者は一次史料になくて微妙なんだよな
やと一次史料で義隆再上洛の意思が確認できる前者の方が研究者でも支持されてる説やな やっぱ田舎侍のバトルより中央の争いの方が面白いよな ゴーストオブツシマの会社に応仁の乱を題材に完璧に再現したゲーム作ってもらおう 承久の乱も朝廷は「義時を討て」って命令してるのに、義時が「朝廷が鎌倉を討てと言うとるぞ」って目的すり替えて御家人騙したのが真実らしいな >>431
サッカーパンチは対馬なら島だけでいいからオープンワールドやりやすいなって理由で元寇の対馬選んだんで
畿内の話は難しいんやないかね >>423
因縁の親父が死ぬのと同時に弱体化していくのすこ 2025年あたりに楠木親子で大河やれ
南北朝時代の始まりから統一まで描けるぞ 日記も日記で「何でこいつら戦ってるんや?何でワイら戦ってるんや?」って感じなんやろ?
戦争の当事者がよくわかってない >>419
宿場収入がメインなので伊達さんを門前で待ち構えてたり
迂回したら江戸にわざわざ参府して嫌味言う喜連川御所様ほんとすこ 北条早雲って京都から関東に逃げてきたらなんか地元民に慕われて大名に担がれて北条姓まで名乗ったなろうだよな >>444
アイツ嫌いだからウチも参戦するで!を繰り返した結果収集つかなくなったようなもんだからな 新九郎走るとかいう面白いけど作者のTwitterは見てはいけない漫画 応仁の乱は乱の経緯よりも
乱によって京が荒廃して逃げた人々が地方に京の文化を広めたという
文化的な意義が大きいって聞いたわ >>447
嫁いだねーちゃんだか妹だかの名門今川家のお家騒動に巻き込まれて調停してる内に今川の重鎮になってる
新九郎すこw 応仁の乱最大の合戦って何ンゴ?
10年以上ひたすら100人くらいの小部隊同士で殴り合ってたイメージやわ >>447
そら2公8民してたら農民の支持得られますわ >>452
基本的にTwitterで他人の思想なんて見るもんじゃないよ まず享徳の乱っていう上杉や斯波を縛る関東の大乱の存在が応仁以前にあった
関東の情勢不安が東日本の足利公方体制
引いては足利幕府の不安定化を招いたし
そこに世子の問題が絡んで起きたのが応仁の乱
それを理解せず足利幕府弱体化の機序を無視する奴多いな 同じ15代まで続いた幕府でも、体制基盤の強さが徳川幕府とは雲泥の差 >>453
京の街中どころか隣近所レベルの距離で延々戦争繰り返してるの頭おかしいわホンマ >>457
してないで
そもそも税率は配下に委ねられてるから同じ北条領土でもバラバラ >>456
投石器つこうたりまるで日本じゃない市街戦やってた感がある >>461
峰岸先生の享徳の乱本は大して売れなかったみたいでかわいそう >>458
こっちは知りたくないのに思想垂れ流すんだよなあ… >>301
平家の末裔名乗ってたのはあの織田信長
関係ないけど東日本初総理大臣で岩手出身の原敬は信長に滅ぼされた近江浅井氏の末裔という説がある >>462
徳川とちがって国衙や荘園がまだ残っとるからな
武家も一主君からの知行取りより各地に一族伝来の受領を受けてるのが普通の時代だし ゆうきまさみは衰える前に伊豆討ち入りまでやってくれよ
ヒストリエみたいになったら許さんぞ >>467
ワイのTwitterはそういうの流れてこないわ >>466
昔から森茂暁の足利ものが鉄板であるし
わざわざ焼き直し読む必要ないからね 応仁の乱で出てくる畠山って北条時政に討伐された畠山の子孫なん? 将軍家の後継者争いに便乗して勢力伸ばそうとした奴らでシッチャカメッチャカになっただけや 呉座勇一の乱なら知ってる
乱というか変というか崩れやけど >>461
原因求めたら鎌倉将軍府まで遡るんちゃうか わりとつまらんよな
呉座の本読んだけどモブがモブと村喧嘩してるだけなんよな 「日本史は応仁の乱以後〜、」は最初何言ってるの?と思ったが鎌倉時代を調べると確かに同じ「日本」とも言い難い気がしてきた 新書をかじり読みした知識だが
室町幕府ってのがそもそも中央集権の仕掛けを作るのが下手だったつうか
中世のなかで国内統治機構が洗練されていく時間が日本には足りなかったんだと感じるわ
各地で有力豪族や寺社勢力がつまんない諍いを繰り返すのを止める力が幕府になかったし統制する気もなかったんだよな
その最後の成れの果てが京の中心を10年かけて丸焦げにした応仁の乱
やる気がありすぎてイキッて敵を作りまくる義視→意志薄弱な現実逃避の義政とダメ将軍が2代続いたのも運の尽きだった 呉座先生の本はまずつまらん坊主同士の権利争いパートを読み越えるのが難しい >>481
網野善彦も室町期に昭和までに通じる日本の基礎ができたって言ってたよな 江戸時代ってあんだけ長くても反乱といえば島原と平八郎と幕末系だけやもんな
脱糞は神 >>482
別に大志もないやつが政権取ったのが運の尽きやったんちゃう?
てか朝廷に代わる中央政権を作るつもりもなかっちゃんちゃうか >>478
まさにそうだな
そもそも享徳と結城合戦の事由はどっちも鎌倉府にあるし 秀吉・家康期にはみんな近世的なビジョンをもってたみたいやけど、どこから産まれてきたんだろうか 鎌倉から室町初期までは冷静に考えて蛮族の時代や
応仁の乱でもまだ理性的 当時の人間も理解できてなかったからしゃーない
今の研究者がタイムスリップして当時の人間に説明しても「違う」って言われて
ついでに追い剥ぎにあってぶっ殺されるだろう >>479
乱や変に明確な区別はないらしいで
そんときのフィーリング >>473
畠山の後家で義時の妹が足利に再嫁してできたのが室町ほ畠山や姓としては残っとるが足利一門として残ってる >>482
そもそも創業者の尊氏が武家政権の棟梁としてグランドデザインが無くて行き当たりばったりで政権運営してるのが根本的な問題やろな
そこらへん少しはありそうな弟は殺しちゃうし 日本列島は長いから東西に分けないと統治できないんよ というか鎌倉幕府が持ってた全国の土地を京都の天皇に返して後醍醐天皇が新しく土地を配り直しますよっていうリセット法が建武の新政でそのリセットが気に入らない武士達が尊氏を担いで始めたのが南北朝だから敵がいなくなったら権力争いになるのは必然だよ
ようは傀儡の天皇をたてて武士の時代を終わらせたくないっていうのが北朝派だからね >>483
京のいくさの起源はだいたいそこだから読んでおかないと >>482
基本が鎌倉の焼き直しだし
そもそも直義が始め鎌倉から作ろうとしてた体制を
観応の擾乱で丸っと平らげた尊氏が役職の追加と公方府の設置で改組しただけでもある
義満体制まで朝廷も野放しだし
そもそも横領が進んでないから幕府財政も弱い 官僚の数がいないと中央集権なんて無理だしな
官僚型武士が少なかったあの時代は室町型の地方分権スタイルしかないと思うわ >>497
スキあらば裏切るけど最終的に尊氏のズッ友なのすき >>483
赤沢朝経相手にそれまで争ってたほとんどの門徒衆が団結するところがピークの本やからそこしっかり読まないとおもんない 鎌倉以来で現代でもガチで影響力あるって秋田の佐竹氏やろか?
未だに県知事やってるのは凄いわ >>489
鎌倉幕府は初の武家政権としてトライアンドエラーを繰り返して少しずつ改善していってたんやけどな
後醍醐天皇と足利尊氏とかいう最悪コンビのせいで潰れてえらいことになってしまった もともち地方分権化が進んでたけどなんとか形式上は中央の権威で薄氷の上を渡ってた
お家騒動をきっかけに大爆発してバラバラになりましたとさ
チャンチャン >>498
それは間違いだというのが定説
そもそも北条から没収した領地は全部足利に配られた
だから直義が中先代の乱で鎌倉にいたんだよ?
直接的対立の原因は護良親王が将軍位を拝領して足利屋敷を襲ったこと
これで将軍位が没収されて護良は鎌倉に幽閉されることになった 従来は鎌倉幕府は元寇の恩賞払えなくて滅びたって言われてたけど
実際には頑張って用立てて一応払ってた
それどころか外国と戦うためにこれまで幕府の傘下に入ってなかった武士まで加わったから
かつてないほどの勢力になってたんやが
後醍醐が反乱起こしてそれを討伐するために差し向けられた尊氏が
なぜか裏切って一緒になって鎌倉に攻めてきたというガイジムーブかまして滅亡した
三国志でいえば諸葛亮が北伐してきた時に司馬懿がそれを阻止するために向かった司馬懿が
諸葛亮と一緒に攻めてきたようなもんやぞ
もうめちゃくちゃ >>509
長崎に執権を執権されてる状況がトライアンドエラー?
単純に得宗北条家の体制が弱体化したにすぎない
そも宮将軍立ってるのは源氏が将軍位を朝廷から被官する根拠だから
平氏の北条じゃ名分も立たない
だから初期に後鳥羽が南面武士率いて北条を除こうとしたんだし >>512
これまで幕府傘下に居なかった武士を
元寇対策で配下にしたせいで
そいつらの揉め事を丸ごと引き取ることになってパンクした
というのが真相なんやっけ 権力が多重構造すぎた鎌倉
でも崩れるのすげえ突然よな
よく残党刈り取れたわ 新九郎奔るの応仁の乱編は割と分かりやすかった
敵味方がすぐ寝返ったりする 細川と新田って総大将じゃないんでしょ?
源氏vs平家みたいに総大将で呼び合えよ >>511
ふーむ
ワオの知識ももう古いのか…
昔覚えた知識で語ってるのがばれてしまったな 北条家も得宗の部下の部下みたいなのが実権握ってたって感じやったと聞いたが >>483
ワイも読んだのそれだわ
キョウガクが主人公だと言われて読み始めるんだが一向に主人公感が出てこない
ただ呉座先生という人の研究者としての姿勢が文面ににじんでるのはよく分かる
些細な出来事一つ一つにも全て出典つけて厳密なことこの上ない >>488
秀吉は菊亭を対朝廷の交渉要員として重用してたけど、家康の天海・金地院・林羅山のような外部ブレーンを徳川政権に取り込んで重用した
家康はこれらの知識人を使って朝廷・公家・寺社を法的に規定し管理したが、秀吉は清盛のゴリ押しをそのままやって反感買っただけで何の進歩もない
秀吉はそういう知識人を使った国家づくりには関心がないのか若しくはそれを理解する素養自体がなかったのか >>521
呉座先生はさぞ慎重で誠実なお人柄なんやろなあ 不明な事だらけでつまらんのにごちゃごちゃし過ぎて理解しようなんて気を起こさせないのが原因やろ
あっちこっちで身内同士入り乱れて争いやもん
好き好んで努力して覚えよう調べようなんてならん >>518
だって国衙が武家共に脅かされてるから...
文書が倉に貯まらないんだよね
しかも横領されたら証拠隠滅の為真っ先に焼かれるし
焼かれたら守護は当然無視で
朝廷は手も足も出ないし 建武の新政の失敗は武家冷遇公家厚遇だから武家が反発したんじゃなくて
ゼロから行政を立ち上げたら上手くいかず
その行政の停滞で被害を被った人に武士が居たってだけやんな 御内人があんま人気なかったんやって覚えとくぐらいでええ 武士がシステマティックに領国経営するって感覚はいつの頃から生まれてくるんやろ
鎌倉室町期とか土地の奪い合いメインで領主クラスで生産高上げてこうとか適切に差配しようみたいな発想があったと思えんのやが >>515
鎌倉の残党はほとんどが領地のある東北に行ったのでそれを抑えるために京都から北畠顕家がやってきた
顕家は結城 伊達 南部って言う有力武将を味方に付けて東北を抑えこんでたけどそうこうしてる間に尊氏が後醍醐に反乱起こして顕家に尊氏討伐令が下りる
そんで尊氏を追討するために動き出した顕家に東北や関東の鎌倉残党武士が次々味方したと言う事らしいよ
尊氏は鎌倉幕府を滅ぼした怨敵だからね
湊川の戦いの後北陸に逃げた新田義貞を顕家が助けなかったのは顕家配下の武将達が同じく鎌倉幕府にとっての怨敵だった新田義貞を助ける事を拒否したからという説があるらしい >>505
北条義時と三浦義村も似たような感じですき 足利尊氏
天皇好きだよ!
家族も好きだよ!
戦クソ強いよ!
↑こいつがガイジ扱いされる理由 後醍醐がいきなり政治改革したってのも実は違って父親の後宇多の頃から改革やってたんだよな 歴史好きだけど500年や1000年前の時代を実際に見た人間おらんし史実は間違いだらけなんやろな >>533
精神学の専門知識がないのに勝手に病気判定して定着してしまった佐藤進一が悪い >>527
それは旧説
今は後醍醐統治下の体制は別段変化なかったのが定説
そもそも足利兄弟の離叛が体制崩壊の機序だが
>>511
ここで書いたように中先代の乱で直義がどさくさにまぎれて護良を殺害したのが対立の始まり
後醍醐は幽閉こそしたが護良の殺害したのに憤慨した
これで直義と執事師直はノリノリで反乱したが尊氏は衝撃を受け直義と対立するようになった
その局地が後醍醐没後の観応の擾乱 尊氏って鎮守府将軍だった時期なかった?
東北も吉良とか石堂配置して北畠追い詰めてたやろ 信長の野望で有名な毛利元就と北条高広が同じ血筋なの知ってる? >>530
生産力めっちゃ上がったのが鎌倉期やないんか そもそもなんで起きたのかを詳細に考察しようとすると呉座氏の本みたいにクッソ複雑になっちゃうから
乱が起こった原因をよりわかりやすく単純明快なものとして描こうとしたのが応仁記なんやないかな
応仁の乱は野馬台詞の予言通り!義政がアホで富子が悪女だったから山名と細川が対立した!みたいな 北条家って現存してないんか?
徳川宗家とかは残ってるのに >>514
そういう説もあるね
当時は幕府の傘下に入っていない武士たちもいて
そいつらと幕府方の勢力で揉めてる地域もあったが
両方幕府の傘下に入ったせいで幕府が厄介事を丸抱えする羽目になってしまった
ただ、鎌倉幕府自体が最初は関東のちっこい勢力だったのが徐々に巨大化してきたから
キャパオーバーなのは前からずっとだと思う
なので滅亡した直接の原因はやっぱり後醍醐と尊氏のせい 皆知識すごいな
自分より上のレス読み返すと何かすごい勉強になるぞ
ワイみたいなニワカがレスつけられるスレじゃなかったわ 天皇がナンバーワンです
↓
天皇を支える征夷大将軍が事実上ナンバーワンです
↓
天皇を支える征夷大将軍を支える執権が事実上ナンバーワンです
↓
天皇を支える征夷大将軍を支える執権を支える御家人が実質ナンバーワンです
めちゃくちゃすぎでしょ 末裔なんてみんな怪しいしな
平島公方とか明智とかあーいうの最悪やわ
出てくるなやみっともない >>530
その観点で言うと本気でシステマティックに領国経営を始めたのは戦国時代からとちゃうか
それまでは戦うのは基本武士の役目やったけど
戦国時代になって雇われの傭兵とか農民を動員するようになって
それを維持するための金と米が必要となり、領国経営に本腰を入れ始めた >>534
しかも後宇多は早逝嫡子の長男への繋ぎとして後醍醐を据え
引いては大覚寺統の為の朝廷改革を推し進めた
まあある意味改革を潰したのは先帝との約束通りに譲位しなかった後醍醐のせいだが
これで南北朝の二刀対立の舞台が整った >>546
放火したのはその二人でも燃え広がった要因はまた別やろうな >>550
平島公方はまだ正統やろ、ちゃんと義澄の血受け継いどる
明智Kとか織田信成はうざいわ >>537
しかし尊氏のムーブを見ている限りガイジとしか言いようがないんだよなぁ… 互いにミクロの世界で憎んでる相手と殺し合いした結果マクロの目線で見ると訳分からなくなったってだけの話では? >>556
平島公方そのものに正統性なんて一ミリもないからな
ワイは足利や!の前提が間違っとるねん
あれは足利の血はあったとしても足利氏の侍ではない 多分ホントのとこは、原因は言われるような複雑な利害対立だとかじゃなく
ムカつくからとか殺し合いしたいからとか戦争したくて戦争してただけだと思うわ
その頃の武家なんて野蛮の極みだし
そんなのを現代の価値観で咀嚼しようと理由をひねり出して滅茶苦茶複雑になってるだけ 応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代中期の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年間にわたって継続した内乱のことや。
発生要因には、足利将軍家の後継者問題もあったんや。すなわち室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、足利将軍家や細川勝元・山名宗全といった有力守護大名を巻き込み、幕府を東西2つに分ける大乱となり、さらに各々の領国にも争いが拡大するという内乱となったんや。 >>545
子孫どころか北条氏規の家系が大名として幕末まで存続したから後北条は滅んでない >>557
パラノイアって言われてるしね...
まあ朝廷被官の受領と鎌倉御家人の間バサミ
そこから後醍醐を奉じ六波羅を滅ぼしたのに
直義のせいで武士の誉れがパアだ
鎌倉御家人も朝廷被官も全うできない叛逆者とかそら狂いますわな 尊氏はキチガイのふりしてるだけで根は狡猾やろ
忠義との政争で南朝に降伏したり師直に責任押し付けて復権したり寝技も出来るイメージ 本当は前北条由来の侍は結構いそう
途中で書き換えてる系の >>561
わりとこれだろ
本人たちも殺してから理由付けして正当化したんちゃうかな まあ中国だって意味のわからん殺し合い魏晋南北朝の400年間やってたわけやしな お偉い様がやらかして一番苦しむのは庶民という言葉の典型 >>570
それどころか同じ陣営同士で殺し合ったりしてるからな
今川家の当主とかそれで討ち死にしてるし civ開発「三英傑もマンネリやなぁ、6の日本代表は救国の英雄の北条時宗にしたろ!」
日本人「誰?」
外国人「ハハハ!ゼルダファンボーイ!」 そもそも陣営とかないだろ
後世の人間がわかりやすく東軍西軍に分けただけ そもそも後鳥羽の乱でも北条方は治天が戦場におおせば矛を収めて即座に下るとか
佞臣が幕府を滅ぼそうと治天を操っているとか
建前言ってなんの関係もない鎌倉御家人を北条体制の防衛に借り出したのだし
この時代からすれば武家の名誉として天皇や上皇に逆らうの難しいだろ
実際治天を島流しにしてからというもの
鎌倉の功臣と北条の権力対立は再び激化したし >>575
いや、明確に陣営は分かれていた
それだけは確実
なぜかというと幕府自体が分裂していたからだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています