0001それでも動く名無し
2022/10/17(月) 10:22:11.17ID:SPTxUP5m0平松氏は、プロへの入団率が低かった理由について“当時は巨人しかテレビやラジオの中継がなく、自分も含め巨人もしくはセ・リーグへの入団希望が多い選手が多かったのではないか”と話す。
子供の頃からファンだった巨人への入団を熱烈に希望した平松氏は、日本石油(現・ENEOS)に入社し社会人野球を経て巨人入りを目指した。当時、社会人野球の同僚にもドラフトで指名されながらプロ入りしない選手も多くいたが、平松氏は「大企業の社員として、野球をやめた後も安定した暮らしができることを選ぶ選手は少なくなかった」と話している。
結局、翌年のドラフトでも巨人からの指名を受けられなかった平松氏は大洋ホエールズ(当時)に1966年の二次ドラフト2位で入団。その後、巨人戦での51勝を含む201勝をあげ、名球会入りを果たしたが「どうして自分がプロ入りするタイミングでドラフト制度が導入されたのか。巨人に入れなかった悔しい気持ちは今も残っている」と当時を振り返る。