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キッズリターンって映画見たんやが
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0001それでも動く名無し
垢版 |
2022/10/25(火) 19:32:38.88ID:jd2Sipw+0
自分がないワイにクリティカルヒットしたわ
0002それでも動く名無し
垢版 |
2022/10/25(火) 19:32:58.57ID:jd2Sipw+0
この映画凄すぎるやろ
0003それでも動く名無し
垢版 |
2022/10/25(火) 19:33:09.70ID:S9iFb42uH
ワイもすこ
0004それでも動く名無し
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2022/10/25(火) 19:34:54.61ID:27OIVwPM0
北野武のやつか
0005それでも動く名無し
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2022/10/25(火) 19:36:11.73ID:kVK1grPH0
北野武監督の「キッズ・リターン」
これだけ鋭く現実の厳しさが見つめられているにもかかわらず、深刻すぎず、漫画的な場面も散りばめられていて、しっかりと映画の娯楽性が保たれている作品はざらにない。

 マサルはふざけた態度の「突っ張り」で、刺激されるとムキになるタイプだが「我」を持続させるだけの根性はない。教師から「漫才でもやったら」と言われるとちょっと真似してみたり、ボクサーに殴り倒されるとすぐ自分もボクシングを始めたりする。もちろん反発だけでやるのだから地味な練習は続かず、上達はしない。

 とにかく、マサルは周囲の刺激に対して「自分」を出し、突っ張ってぶつかってゆくタイプ。シンジは「自分」を持とうともしないために、周囲の刺激にただ流されてゆくタイプ。二人は目標を持っていない点では共通するが、タイプとしては異質なのである。

 この映画で私は、特にシンジという青年のタイプが印象的であった。
 正直言って、マサルのようないわゆる「突っ張り」は、低俗な学園娯楽映画にもよく登場するタイプで、いわば、どう生きていいかわからないために、目先の「快楽」に身をゆだねて「退屈」を回避しようとしている、といったタイプである。そのような「不良」は、いままでいくらでも描かれていたように思う。しかし、シンジのようなタイプを、こんなに丁寧に描いた映画は見たことがなかった。「自分」を持たず、「自分の世界」を求めようともせず、つまり目標(欲)がなく、目標をもとめようともしないで、ただ周囲の刺激を受けて流されてゆくだけの青年を、こんなに自然に、こんなにリアルに、こんなに教訓的でなく、描いたものは初めてだった。

 そして私には、同じ落ちこぼれでも、マサルがいわゆる「真面目」とははっきり異質なタイプであるのに対し、シンジはいわば「真面目」と同質的なタイプといえるように思えてならなかった。なぜなら「真面目」だと思われる高校生の多くも、実はまだ本当には「自分」を持ってはいなくて、彼らの当面の目標である「受験」というものも、「自分の世界」を探すための仮の目標であるにすぎないと思うからだ。いやそればかりか、中には「受験」がそのような「自分探し」のための仮の目標ですらなく、ただ周囲の流れによって何となく目標らしきものとなっているだけの者、つまり<目標をもとめようともしない者>もいるに違いないと思うのだ。それなら、本質的にシンジと変わらないではないか。
 
 この映画の最初と最後に、授業中の校庭で自転車に乗ってふざけあうマサルとシンジを窓からじっと見ている「真面目」な高校生の姿が出てくる。そして背後に「ここは必ず受験で出ます」と強調する教師の声が流れる。ここには、広く潜在している「シンジ」が描かれているのだ。ラストで、二人が母校の校庭に戻ってきた時、真面目に「受験」の授業を受けている高校生たちに向かって、マサルでなくシンジが「おーい、馬鹿、勉強してるか」と叫ぶのも、シンジと彼らとの近さを暗示している。その時、彼らとは遠いタイプのマサルの方が「シンジやめろよ」と制止するのだ。

 北野武は、「ロッキー」を代表とする甘いサクセス・ストーリーが心底嫌いなようである。現実はあんなハッピーなものじゃない、そういうメッセージが、この映画には満ちている。
 喫茶店のウエイトレスに気のあるおとなしい高校生は、ハカリの会社に就職するが、販売のノルマが厳しいのでタクシーの運転手に転職する。しかし、そこにもきついノルマがあり、疲れから事故をおこしてしまう。ボクシングジムで将来を嘱望されていた若者は、控え室にも彼女を連れてきたりして、調子に乗り、結局試合に負けてゆく。ヤクザの兄貴分からいつも優しい言葉をかけられ、小遣いをもらい、可愛がられていたカズオという若者は、殺人を犯した兄貴分の身代わりとして警察に出頭させられる。・・・・
これら現実社会の厳しい断片を、北野は冷酷とも思えるほど淡々と、突き放した形で、配置する(ただ、唯一、漫才師を志してなんとかその目標を実現している2人が描かれているのは、ビートたけしとして大成した北野自身のひそかな自負だろう)。そしてそのような断片の中心に描かれるシンジは、まさしくアンチ・ロッキーと言える人物なのである。<目標を持とうともしない>ために、林の言葉に流されて飲み食いし、体重が落ちないためにとうとう薬を使って体力を失い、ボクサーとして挫折していく時に流れる音楽の、何と哀切なことか。胸に染みる。そこに、そんなふうにして可能性の芽を潰していった、そしてこれからも潰していくだろう無数の若者たちへの、北野武の温かい眼差しが感じられた。

 ラストは、シンジとマサルの、次の言葉で終わる。
 「マーちゃん。俺達、もう終わっちゃったのかなあ」
 「ばかやろう。まだ、はじまっちゃいねえよ」  
0006それでも動く名無し
垢版 |
2022/10/25(火) 19:37:40.92ID:jd2Sipw+0
>>4
せや
ソナチネ、HANA-BI、その男凶暴につきときてキッズリターンを見たんやが、これだけ完成度が抜けてるわ
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