小学校
ドラゴンズJr.で2番ショート。小柄で目立つ選手ではなかった。エースは阿部(大阪桐蔭→立命館大)だった。

中学校
2番手投手。エース藤井(東海大菅生→テイエステック)に隠れた存在だった。

高校
身長が急激に伸び、一年夏に最速140キロを超える。エースとなった二年夏は愛知大会準決勝敗退も、秋に神宮大会制覇。三年のコロナ禍を乗り越え、高校No. 1右腕として慶應義塾大学を蹴り中日入団。

プロ
1年目は2軍でも防御率6点台と苦しむも、オフにみどりクリニックの治療を受けて覚醒。高卒2年目シーズンでは歴代No. 1の奪三振率を記録するなど急成長を遂げた。