寝惚けながら歪んだ激音量ギターを弾き囁くJは時に性急すぎるほどの詩情をぶちまけながら無欲の彼方へと走り(歩き)去って行くが花の香りも寝小便とともにあれは小便臭の一部となってしまうように、Jの人情はことごとくJの漂わせている気怠い空気に吸収されている。と多くの人々が感じたり決めつけたりしていた。キターの軋みと歪みの間で亡霊のようにボソボソと独り言を伝え続けているJは、足があるのに足のない者に見えてしまう、実像なのに幻影のような、歌手である。しかしその呟きは意図せず希望もしていないにもかかわらず何日も続けて夢に出てくるほど苦く、軽いように思えて重く、後味は甘くない。Jの欲望とは何かと、これまでの作品に対して俺は問いはしなかった。Jの音楽には共感というより共有する以外にない虚無の塊が鈍色にゆっくりと呼吸していたからである、何物も期待させず何者も満足させない。不満ではなく、身震いするほどの欠落感が幾重にも重なっているJの歌は、我々に生きることの悲壮な決意と忘我で彷徨う酩酊状態の夢想とが実は同じ結末へと向かっていることをひっそりと教示する。轟音の中で半睡半覚醒のまま、いつまでも聴き続けたい。