【朗報】ワイ、哲学にハマる
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我思う故に我ありってどう言う意味?
自覚がないと自分はいない、みたいな? 反証主義すき
反証主義で人類は進歩できないけど全人類心に止めておくべき考えやと思う >>3
実は世界が全部存在しないもの何じゃないかとか思った事ないか?
世界や人間や自然などが虚偽の存在だとしてもそれを考えているって事は自分の存在だけは疑いようの無い事実って事や ある時、地上に二通りの人間が生まれた。
一つは強者、二つはそれに敵わない弱者である。
弱者は己の力を高め強者に立ち向かうこともできたはずだか、彼らはそれをしなかった。
彼ら弱者は、しかし別の方法で強者に立ち向かった。
それは「奴隷道徳」の創設…すなわち「弱者であることが強者であるよりも優れているとされる道徳」を生み出したことによってである。
奴隷道徳において、弱者は「善人」である。
なぜならこの道徳においては、質素な暮らしを送り、名誉や地位を求めず、謙虚であり続けることが「善」とされるからである。
なんてことはない、弱者の置かれた生活環境をそのまま「理想状況」であるとし、卑屈な自己肯定を行ったにすぎない。
これに対して、強者は「悪人」とされる。
強者であるからには他人を蹴落としたり押し退けたりしているはずだ。強者は弱者を虐げている。
そしてそんな強欲と傲慢にまみれた強者の生活は、「善」とされる質素かつ謙虚なものとは程遠い、ゆえに「悪」である。
そして、これこそが奴隷道徳が最も目的とするものである。
すなわち、善き生活を送る弱者こそが正しく、悪しき生活を送る強者は間違っている。
現実では惨めに従属することしかできない弱者は、奴隷道徳の中においては強者に対して精神的に上位に立つことができる。
こうして倒錯した価値観の中に弱者は永住する。
これにより得られる自己肯定ゆえに、弱者はこの思想を変えることはない。
だが、それゆえ…弱者が弱者であることを肯定し続けるがゆえに、現実において弱者が強者に従属する日が終わることはない! ぴよぴーよ速報ってユーチューバー面白いよ
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