事件後、藤村は松島町の瑞巌寺の修行専門道場に11月末まで数週間滞在。その後は福島県の精神病院にしばらく入院していたが、病状を理由に入院先の詳細は公開されなかった。またこれまで戸沢充則(明治大学名誉教授、日本考古学協会特別委員〈当時〉)が面会して捏造事件を引き起こした理由その他について告白を得た他は、病状悪化を理由に面会謝絶の状態が続いていた。2001年(平成13年)2月には妻と離婚。家族は事件を原因として激しい嫌がらせを受けていたという[2]。事件後に解離性同一性障害を発症し、障害者認定を受ける。一方、2003年に入院先で知り合った女性と再婚している。また、右手の人差し指・中指を斧で自ら切断した[3]。