騙されてた学者の話

https://www.yomiuri.co.jp/national/20220212-OYT1T50255/
当初、ねつ造は上高森と、総進不動坂の2か所だけとされていた。長崎さんは北海道の別の場所でも藤村氏と共同調査していたが、この時はまだ、「これ以上のねつ造はないだろう」と考えていた。そう信じたかった。

 だが数日後、長崎さんは、母校・早稲田大の先輩で、道教育委員会の職員だった田才雅彦さん(66)に呼び出される。札幌駅前の居酒屋に座るなり、田才さんは言った。

 「お前はグルか、バカか、どっちだ。世間はどっちかとしか見ていない」

 長崎さんが「グルではない」と言い返すと、田才さんは諭した。

 「それなら、私がバカでしたと謝れ。そうじゃなきゃ、誰もお前を信用しない」

 翌月、北海道考古学会の遺跡報告会の場で、長崎さんは「見抜けなかったことを深くおわびしたい」と謝罪し、ねつ造遺跡の検証に乗り出した。同学会の委員長だった鶴丸俊明さん(74)は「悪夢のようだったが、検証を待ってほしいと伝えるしかなかった」と振り返る。