0001それでも動く名無し
2022/11/17(木) 06:37:58.10ID:lHJSlFvH0社会人野球ホンダからドラフト5位で2016年に入団。当時26歳のオールドルーキーは春季キャンプでプロのレベルに圧倒された。「きつくて体が動かず、ただ必死にやっていた」。最初の3年間はわずか64試合の出場。何度もクビを覚悟した。
転機は19年。二塁の定位置をつかみ129試合に出場。リーグ10位の打率2割9分1厘をマークした。立浪監督を迎えた今季は開幕時の構想では控えも、離脱した高橋周の代役を務め、自己最多の133試合に出場。竜日本人最多の9本塁打、57打点と気を吐いた。
バーのマスターのような風貌にちなみ、ついたあだ名が「マスター」。だが穏やかな表情の裏には不屈の闘志が宿っている。二塁に定着する19年。2月のオープン戦阪神戦(北谷)で藤浪と対戦した際だ。
すっぽ抜けた剛球が頭付近を通過し、その場に倒れ込んだ。その直後、直球に踏み込み左前へはじき返した。取材では「死ぬかと思いましたよ」と苦笑いしただけ。言葉にしなくとも勝負から絶対に逃げない姿勢を貫いた。
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