高校では1年春から「4番・三塁手」としてレギュラー入りし、秋からは遊撃手で起用される。
2年春には、市立柏高校との練習試合にて1イニングに満塁本塁打2本を記録した。
3年春は打率.471の活躍で県大会優勝に貢献。決勝戦では山梨県記録となる57号本塁打を打った。3年夏は山梨県大会で敗退し、甲子園出場は果たせなかった。 高校通算本塁打数は71本。
8月に行われたAAAアジア野球選手権において日本代表に選ばれ、5試合で20打数10安打13打点を記録した。決勝の韓国戦では高校通算71号となる先制2点本塁打と適時打を打ち、MVPを獲得。
日本の同大会優勝に大きく貢献し、木製バットへの対応力も見せた。同高の2学年後輩に渡邉諒がいる。

2011年10月27日に行われたドラフト会議にてオリックス・バファローズ、東京ヤクルトスワローズ、中日ドラゴンズの3球団から1位指名を受け、抽選の結果、中日が交渉権を獲得した。
甲子園出場経験のない高校生野手が、ドラフト1位で3球団が競合するのは、ドラフト史上初。
なお