昭和37年に松下電器産業(現パナソニックホールディングス)に入社。平成5年に取締役となり、常務、専務を経て12年6月に社長に就任。18年6月に会長に就任した。

元現特別顧問の森下洋一氏(故人)に代わって社長に就任。バブル経済が崩壊した影響などで、14年3月期決算で4千億円を超える赤字を出したものの、人員削減などの経営改革で短期で業績を急回復させ、「破壊と創造の中村改革」と評価を受けた。

「(創業者である)松下幸之助の経営理念以外、聖域はない」という言葉を掲げ、幸之助氏が確立した事業部制の廃止、大規模な早期退職の募集、松下の名を冠した子会社群の吸収に取り組んだ。

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