【悲報】日本史さん平和すぎてつまらない
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>>13
足利が家督で揉めてたら細川と畠山まで揉めはじめて畿内は無茶苦茶だよ っぱスケールのでかい世界史よ
東南アジア史?知らん 結局千利休あたりで今の日本文化が築かれてその後は進歩してないということに気づいた >>23
足利将軍家の家督を誰が継ぐか揉めて一度大内家が九州からでてきて政権運営してたけど流石に長期出張きついんで帰ったら兵庫あたりの細川が政権取ったけど細川まで家督争いしはじめてついでになんか和歌山あたりの畠山まで家督争いはじめて政権運営できなくなった >>23
はじまりはこんな感じ
足利義視、兄の足利義政に請われて将軍後継になる。義視の後見には細川勝元がつく
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義政の子、春王(後の義尚)産まれる。養育は伊勢貞宗(父の伊勢貞親は義政の養育者)
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将軍後継を春王にと狙った伊勢貞親、義視謀反を義政に讒言し失脚を狙うが細川や山名宗全らに妨害され逆に追放となる。(文正の政変)
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管領畠山政長と畠山義就の家督争いで義就が山名宗全の手引きで京都に入府
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義政の中立維持命令を政長の後見の細川勝元は守る。一方山名、斯波義廉は公然と義就を支援、上御霊神社に立て篭もった政長と義就が衝突、義就勝利(応仁の乱の開始)
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畠山の家督を勝ち取った義就は管領に、山名派が政治を取り仕切る
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メンツを完全に潰された細川勝元、密かに動員をかける。と同時に山名派の各領土で争いが起きるよう扇動する。
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細川派の若狭守護武田氏が山名派の一色氏を襲撃、第二ラウンドスタート ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています