【日本代表へ】
日本代表でよかったね

1994 FIFAワールドカップ1次ラウンド終了後、コロンビア代表チームはアメリカで解散となったが、代表選手の多くは国民の非難や報復などの後難を恐れて帰国を拒否し、アメリカに留まった。 そんな中でエスコバルだけは「自分はあのオウンゴールについてファンやマスコミに説明する義務がある」と帰国を決意。仲間たちの制止に耳を貸さず、ただ一人母国コロンビアへ帰国する[3]。

1994年7月2日の深夜3時半頃、エスコバルは母国コロンビアのメデジン郊外のバーで友人と歓談した後、店から出たところを暴漢に銃撃され死亡した。まだ27歳という若さであった。エスコバルと一緒にいた友人によると、犯人のウンベルト・ムニョス・カストロは銃撃の際に「Gracias por el auto gol(オウンゴールをありがとう)」「Gol!(実況者がゴールシーンの時に絶叫する言葉)」と口にしながら、12発もの銃弾をエスコバルに向かって撃ち込んだ[4]。まだ大会の期間中に起こったこの衝撃的なニュースは世界中に報道され、直後に行われた決勝トーナメント1回戦のドイツ-ベルギー戦とスペイン-スイス戦では彼の死を悼みキックオフ前に黙祷が捧げられた。この一連の事件は後に「エスコバルの悲劇」と呼ばれ、今もなお語られている。