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スピットボールのゲイロード・ペリー死去
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0001それでも動く名無し
垢版 |
2022/12/02(金) 18:46:58.45ID:qibgNrvWd
 米大リーグ史上初めて両リーグでサイ・ヤング賞を獲得したゲイロード・ペリー氏が1日、サウスカロライナ州の自宅で老衰のため死去した。84歳だった。

 ジャイアンツなど8球団で通算314勝265敗、3534奪三振。球につばやワセリンなどを付けるスピットボールの使い手としても有名だった。

 通算314勝は史上17位、通算3534奪三振は8位という、名投手が逝った。72年にア・リーグのインディアンスで、78年にナ・リーグパドレスでサイ・ヤング賞を獲得。両リーグでの受賞は初めてだった。押しも押されもせぬ実績で殿堂入りしているが、その名を伝説として知らしめたのは、スピットボールの使い手としてだ。

 帽子を触って、こめかみをなでて、投球した。現役でインディアンスに在籍していた1974年には「Me and the Spitter」(私とスピットボール)という自伝を出版している。MLB公式サイトによると、不思議に曲がりを見せる投球を同僚のボブ・ボリン投手は「ハードスライダー」と呼んだが、一方で「(同世代の打者である)ハンク・アーロンや他の選手はそう呼ばないだろう」と話している。ファウルボールが当たったバックネットには、グリースがべったりついた、とも言われている。

 2016年、ジャイアンツの本拠地でペリーの銅像の除幕式が行われた。スピーチの最後、ペリーは参列者に対し、座っているイスの下を見るように言った。参加の記念品として、チューブのワセリンが貼り付けられていた。
0002それでも動く名無し
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2022/12/02(金) 18:47:34.28ID:qibgNrvWd
wikiが面白い


MLB史を代表するスピットボーラーであり、ボールにワセリンやポマードをつけ、時には紙ヤスリで細工して投げていたという。ジャイアンツで2年間チームメイトだった村上雅則も「ペリーはスピットボールを投げていた」と証言している。しかし誰も証拠を掴めなかったため、引退前年の1982年8月23日に通常考えられない変化球を投げてついに退場処分になるまで一度も退場処分になったことはなかった。また、別のある試合では「怪しい」と感じた審判がペリーを調べたところ、手の中からただの紙がでてきて、紙には「こんなところには隠さないよ。まだまだ甘いね。」と書いてあったという。

1970年春にジャイアンツが来日し、日本各地でオープン戦を行ったが、日本でもスピットボールやグリースボール、エメリーボールを投げた跡がボールから見つかった。審判はまるで気がつかず、「さすがは達人」と唸ってしまい、そのボールを見た伊東一雄は感激したという。

ペリーがインディアンスからレンジャーズにトレードされた経緯にはペリーの人種差別的な態度があった。当時のインディアンスの監督はMLB初のアフリカ系アメリカ人監督であるフランク・ロビンソンだったが、ペリーは「あの黒人監督以上のサラリーが貰えなかったら俺はこのチームを出る」と発言した。しかし、球団はペリーの昇給もロビンソンの減給も拒否し、そして持て余したことで画策されたトレードでレンジャーズにトレードされたのである。

引退後には、新聞記者ボブ・スーダイクとの共著で自伝『私とスピットボール』(原題:Me and the Spitter;: An Autobiographical Confession)を出版。「通算300勝を達成した時にはボールに歯磨き粉をつけて投げていた」等と現役時代のスピッターぶりを告白している。また、自身が反則投球に使用したワセリンを販売する会社を経営している。
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