名無しさん@実況で競馬板アウト2019/05/04(土) 00:39:27.96
社台グループ物語 ノーザンファーム誕生秘話

まだ日本のサラブレッド生産の中心地が日高だった頃、
故・吉田善哉から「ノーザンダンサーの仔を購入しなさい」との指令を受けた長男の吉田照哉が渡米し、
セリで一目惚れして購入した1歳馬がノーザンテーストだった。
日高の牧場主達はノーザンテーストを見て
「社台さんは、こんな犬みたいな不格好な馬を買ってきたのか」
「わざわざアメリカからヤギを買ってきたのか」等と言って嘲笑した。
しかしその直後、ノーザンダンサー直仔の取引相場が10倍以上に高騰し、生半可な資金力ではノーザンダンサーの血を得ることが不可能になった。
(吉田照哉は幸運にもノーザンテーストを約3000万円で購入できたが、1年遅ければ3億円になっていたであろう。)
やがてフランスとイギリスで競争生活を送り20戦5勝(G1を1勝)というやや平凡な成績で現役を終えたノーザンテーストは社台ファームで種牡馬となった。
競走馬としては平凡だったが、種牡馬としてのノーザンテーストは日本競馬史上に類を見ない程の大成功を収め、通算10度のリーディングサイアーに輝いた。
これにより社台ファームは一気に日本でもトップクラスの大牧場へと成長した。
吉田善哉は生前「馬で稼いだ金は、惜しみなく馬に投資せよ」と口を酸っぱくして言っており、息子達はその教えを忠実に守った。
その結果その後も馬産ビジネスで大きな成功を収め、巨大な「社台グループ」を形成するに至った。
・社台ファーム(代表 吉田照哉)
・ノーザンファーム(代表 吉田勝己)
・追分ファーム(代表 吉田晴哉)
(以下、照哉氏・勝己氏・春哉氏の共同運営)
・白老ファーム
・社台スタリオンステーション
・社台ホースクリニック
・山元トレーニングセンター
・早来ファーム

ノーザンテーストは種牡馬引退後、社台グループ最大の功労馬として専用の馬房と自由に行き来できるパドックを与えられた。
2004年12月11日午後3時20分、北海道勇払郡早来町の社台スタリオンステーションで老衰のため死亡。
33歳の大往生だった。
死後、遺体は社台スタリオンステーション敷地内の高台に埋葬されている。
↓ノーザンホースパークの敷地内にあるノーザンテーストと吉田善哉氏の像。
https://i.imgur.com/tVP5vMj.jpg