【速報】中国軍が領有権を主張するインド領土に大規模侵攻開始へ…負傷者が出てる模様😱
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インド陸軍は12日、中国が領有権を主張するインド北東部アルナチャルプラデシュ州タワン地区で、中印両軍が9日に衝突し、
双方で複数の負傷者が出たと明らかにした。いずれも軽傷で、衝突後すぐに両軍が現場を離れたという。
複数の印メディアは、中国側の部隊は300人以上に上り、少なくとも6人の印兵が負傷したと伝えた。
シン印国防相は13日、衝突は両軍兵士の素手での殴り合いによるものだったと国会で説明。
11日には現地の司令官同士の話し合いで対立の解決を図ったという。
中印の未画定の国境では、2020年6月に印北部カシミール地方で両軍が衝突し、兵士20人以上が死亡してからにらみ合いが続く。
21年1月にも印北東部シッキム州での小競り合いで、両軍に負傷者が出た。
https://www.yomiuri.co.jp/world/20221213-OYT1T50186/
https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/12/20221213-OYT1I50131-1.jpg 前にもあったのに上海協力機構ではニッコニコしてたんか カシミールが片付けばパキスタンと殴り合えるのになインドも インドとパキスタンはもともと一つの国であった。1858年、南アジア大陸はヨーロッパ
人の侵略によって、インドがイギリスの植民地になった。第二次世界大戦以降、南アジア地域における民族独立運動が高まったため、イギリスは分けて治まるという方針を採用した。ついに「モンパッドン法案」は1947年6月に登場され、かつてのインドは宗教の違いに従って二つの自治領に分けられてしまった。そして、同年の8月インドとパキスタンは相次いで独立を宣告した。新たな二つの国は別々として誕生した。
中国と本来のインドの間2000年間を渡った伝統的なつながりがあった。両方とも経済や、文化、宗教、そして芸術など各分野で密接的に交流したことがあった。しかし、イギリスの南アジア侵入によって、約2000年わたって落ち着いてきた中国とインドのつながりは一時的に中断した。1949年、中華人民共和国が成立したまでおよそ100年間かつての交流が止まってしまった。しかし、インドとパキスタンは真っ先に中華人民共和国を認めた国であった。中国とインド、パキスタンの関係といえば、大体戦後の50年間の出来事と指すものであろう。過去の50年間、中国とインド、パキスタンの関係には幾多の曲折があった。要するにその中で、アメリカとソ連(今のロシア)、あるいは東と西の両陣営の冷戦動向を微妙に反映していた。また中国は80年代からの改革開放政策によって自らの変革を興った。この時期を境目として、中国とインド、パキスタンの関係を二つに分けて順を追って述べよう。 中国とインド:友好と国境紛
1950年代における中国とインドはしばらく友好的な雰囲気を醸成した経緯があった。特に1955年に開かれたバンドン会議で両国が密接に提携していた。バンドン会議の間に、中国とインドの首相による「平和五原則」に関する共同声明が発表され、新興アジア諸国の主導権による“平和”への期待が高まった。47年に独立したインドの首相に就任したネルー氏は首相と外相を兼務し、国家開発計画などを打ち出して社会主義型の国づくりを指導、米ソ冷戦の時代にあって「非同盟・平和共存政策」を提唱した。また、当時の中国首相周恩来氏も56年11月末から12月の頭にかけて二度とインドを訪問した。インド首相のネルー氏も54年に中国を訪問した。その時代には、中国とインドの人民は兄弟であるといようなスローガンは両国の空に響き渡っていたそうだ。一方、国境問題やチベット問題をめぐって、中国とインドの対立も芽生えていた。
植民地・半植民地という共通点を持ち、発展を求めるという志向がある中国とインドは、両方とも帝国主義の遺物として残されたものを全部捨てて新たの基礎に基づいて、両国の外交関係を立ち上げようという主張を唱えた。言わば、以前イギリスがこの地域でやったものはすべてを否認するわけである。
一方、インドの場合は、イギリスから残された国境の主張をそのまま相続しようとし、チベットはあくまでインドの勢力範囲と見なした。少なくともチベットは中国とインドの間の緩衝地帯として考えた。チベットは中国総面積の8分の1を占め、ヒマラヤ、崑崙、タングラの各山脈に囲まれて平均標高4000メトル以上に達し、世界の屋根と呼ばれている。中国はチベットが天然の障壁として西からの侵入を防ぐため、ずっと昔からチベットの主権を手に握っていた。
1950年、中国の軍隊によるチベット解放はインドから幾多の障害を与えられた。また、56年3月、チベットで寺院や貴族が独立を求める反乱が勃発したが、結局中国軍に鎮圧され、ダライラマ14世はインドに亡命した。インドに受け入れられたダライラマは、インド国内で反中国の政治行動を許された。チベット動乱を勃発した直後、インドは中国に領土要求をし始めた。インドに占領された中国とインドの国境の東部分に限らず、西部分の中国領土も要求した。さらに、何度も軍事行動を用いて武力的に要求を実現しようとした。その上、中ソ関係の悪化や、インドとソ連が接近する中で、中国とインドの友好関係が急速に悪化させたあげく、大規模な国境武力衝突が勃発した。 そういやインド軍が強いって話あんまり聞いたことねーな
英から独立したあとは内戦して国内のイスラム教徒をパキスタンに追放して
中国とパキスタンとずーっと小競り合いしてるよな シッキムか
ブータンにも近いけどずっと揉めてるよな >>13
国内世論が復讐しろ!って抑えが効かなくなるんじゃないの ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています