0001それでも動く名無し
2022/12/15(木) 20:20:12.19ID:1p6zjk6O0若い頃にいろいろと紆余曲折があり、新教の牧師の息子として固い家庭に生まれながらも画家になる決意を固めたのは20代の後半になってからです。
かなり遅いデビューでもあります。
後発の画家に手本となったのは、親しい友人の画家であり、日本の浮世絵版画だったりしたので、「画家としての思想」に限って言えばかなりの自由人でしょう。
でも、ゴッホが生きた19世紀の半ばから末にかけての洋画壇の流れをご存知であれば、万が一つにも彼のような画家は受け入れられることは無かったことが理解できるでしょう。
最期のゴッホの主治医でもあったオーヴェールのガッシェ医師の肖像が残っていますが、彼の表情を見ればそこはかとなく、ゴッホがどういう人だったかわかるような気がします。
偏屈で頑固な人間はヨーロッパには多いのでそれ自体は何も珍しいことではありません。
でも、とりわけゴッホのような気性の激しい人は稀でしょう。人の選り好みも激しかったようです。
時代にそぐわず、風のように駆け抜けて行ってしまった、と言う方が正しいですか。