0001それでも動く名無し
2022/12/25(日) 09:13:18.83ID:ikUzvSQqaXMAS東京・小平市出身にもかかわらず、栗山監督は時折、無意識に関西弁が口をつく。
「野球のことで熱くなると、熱闘甲子園を思い出すんだよ。先人に感謝。大げさに言えば野球から人生、生きざまを教えられた。その原点が高校野球」
選手を引退後、2009年から11年までナビゲーターをつとめた「熱闘甲子園」。熱心に高校球児を取材し、視聴者へ未来のある高校生たちの素顔を発信し続けた。その番組製作の中心が大阪の朝日放送だった。スタッフの多くが関西人。無我夢中で高校球児を追いかけ、いい番組を視聴者に届けようとした日々は情熱がこもった関西弁であふれていた。野球のことで必死になればなるほど、原点の熱さを思い出すという。