源平合戦、何かイマイチ戦国時代と比べて稼げるコンテンツにならない
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基本どこそこの土地や家の武士が強いってのは眉唾もんやと思うわ
親分が下士に至るまでたらふく食わせられるかが全てやろうしそれができたから秀吉が最強やったんやろ 鎌倉時代以降の島津家は本家分家と南北朝のゴタゴタが長すぎて分かりにくいよな >>541
火事のリアリティ追及して竹割って音出したりしてるからドラマ性はあるぞ >>519
そもそも島津は地頭として薩摩に来たが薩摩はその大半が摂関家の荘園で島津は地頭であると同時に荘官でもある
という御家人の中でもお上品な家柄だからな
この関係が幕末でいきてくるわけやけども >>551
軍勢が一定数超えるとほかの勢力勝ち目ないだけやろ >>519
幕府が最有力の近衛家とのパイプ役にするため貴族出身選んだからコネ重視や 足利尊氏と新田義貞というメッシクリロナを同時に排出した毛野国さんはなぜ地味なのか 平家を主軸にして栄華から滅亡までを書き上げた平家物語はようやっとる
源氏じゃこうはいかんやろ >>557
やっとったらしい
元寇のときも最初はそうだったとか 承平天慶の乱とか何かに使い道無いか?
無理か…?🥺 日本史で朝廷天皇家が族滅にあう危機が1番高かった時っていつなんや?
承久の乱後?
武家政権って朝廷天皇は滅ぼすより利用したろって連中ばっかやし >>555
近代兵器も軍事学も無い時代やしそれが全てやろ
経済力と米でいかに多くの兵を相手より早く戦場に送り込めるかが武士としての強さやと思うわ >>551
肥沃な平野の兵より
山岳地帯や豪雪地帯の方が兵1人の腕力が強いのは説得性がありそうやが >>556
大将これも燃やしてみましょうやとかやってたんかな >>531
剣術もそうだが甲冑着てやる介者剣術と素肌剣術は違うものやし
柔とされるものも甲冑着てやるのと素肌でやるのじゃ動きが厳密には違うで
組み討ち術は柔の中でも古流の動き残しとるとこやと相撲に近い
信長が相撲好きやったのもまぁわかるわ
組み討ちなると相撲強いから >>561
それで言えば鎌倉殿は源氏版平家物語って感じあるな マジレスするとほぼ上位互換室町時代の関東があるからやろ
上杉禅秀の乱以降ずっと戦ってる >>565
なお時行は逃亡先で現地妻と子供をたくさん作っていたもよう >>559
マジ?すげえな
ワイ中世の人間以下やんけ >>80
サラブレッドは平地で早いだけで怪我しやすいし山地の走破性能ほぼないしで戦争じゃまず使われへんで そういや平安~鎌倉で槍がなくって戦国なってようやく徒の長柄の槍揃えてくんの不思議やなあ
何でまた槍の発展がそんなに遅れた理由はなんやろ
古代には鉾から鑓にちょっと進化しそうなってやん
室町で長巻、薙刀、長刀使ってたしちょっと意味わからんやった >>287
京都にいて幕府側についた奴らは殺されたからね結局
運がないというか詰みやな 鎌倉幕府滅亡は女子供もみんな死んでるから厳しいとこある >>579
1333年(元弘3年)、後醍醐天皇に呼応して鎌倉に攻め寄せた新田義貞の
軍勢を迎え撃つべく、北条高時ら北条氏一門が当寺に篭もったが、
成すすべもなく自ら火を放って自刃した(東勝寺合戦)。
『太平記』によると、自害した者は一族・家臣283人、
あとに続いた兵も合わせて870人余であったという。 >>582
鎖帷子やからちゃうの?
先端折れやすい槍なんか意味ないやろ 大河ドラマ太平記の鎌倉炎上という最初から最後まで面白い神回 槍は先端が折れたら意味ないしな
長すぎると振り回すのも大変やろし 逆になんで門を通っただけの人を弓で射るようなバーサーカー軍団鎌倉武士は滅んだんや 北条も自ら後醍醐なのるガイジなんか島流しの後現地で暗◯しとけよ >>593
まあ戦後に頭蓋骨なり遺体なりの臨検位はしてそうや >>575
そのずっと後の享徳の乱かな
新九郎奔るで今川義忠に「なんでそんなに戦ってるんだ?ヒマなのか?」とか言われてるのがちょっと面白かった 槍って治金技術的に作るの難しいらしい
だから長柄になる >>564
後醍醐が北朝皇族を捕らえたときに皆殺しにしてたら後に報復で南朝皇族も皆殺しにされた可能性がワンチャンあるくらいやない >>227
江戸時代以後に学問と芸事しかやることなくなったイメージやな >>600
小刀棒の先にぐるぐる巻きにしたらあかんの >>592
まさか盛綱の子孫に幕府が牛耳られることになるなんて義時も泰時も思わなかったろうな >>600
別に難しくないよ
古代からずっと世界中で使われてた
単なる兵が使うようなのと馬上の将が持つのは別物ってゆうだけで >>608
鎌倉幕府は最終的に安達家と鶴丸の子孫との争いになるんやっけ コーエーが昔出した源平合戦は各武将に無常ってステータスが設定されとって捕らえた敵武将殺しまくって無常値が上がると出家してロストする文章だけやと笑えるけど
ゲームとしてはイラつくシステムやった 徳川綱吉「無闇に殺生するな、礼儀を重んじろ、勉強しろ、朝廷に敬意払おうや、身内に不幸があったら喪に服せ」
←こいつ地味に凄かったのでは? >>595
武田信長って強そうな名前なのにあかんかったか >>564
雄略天皇はとりあえず天皇になりそうなやつ殺しすぎや >>16
マジで鎌倉末期から南北朝時代にかけてのゲームとか出して欲しいわ
パラドでもいいし太閤立志伝ライクなやつでもいいしm&bのmodとかでもいいから
めちゃくちゃおもろい時代なのに
小説や漫画ももっと出してくれ 6歳の天皇が入水してENDって後味悪すぎやろ
源氏からしても天皇も三種の神器も失うし >>584
言うほど自称でもないけどね
幕府の許可を得ていたと最近では言われてるし
氏康の母親は鎌倉北条氏の末裔ということにはなってるし(嘘だろうけど) >>614
派手に凄いかも
今の日本人完全にこの系譜だし >>582
戦の主体が徒士戦ではなく騎馬戦になったから
軍団制の廃止は天然痘などによる人口減少がかなりの大きな要因
その穴を埋める為に機動力があり少数精鋭の騎馬兵で治安を担うことになりそれが騎馬武者に繋がる
鎌倉末期から徒士で戦うことが増えてきて徒士による集団戦を戦う上では薙刀は振り回すので不向きなんでまた槍が登場することになった 鶴丸の親父って平資盛ってあるがそれなら平家の子孫やん 逃げ上手の若君ってこの辺やろ?
せっかく題材にしてる漫画なのになんの話題にもされてないんやな🙄 >>619
伊勢氏自体が幕府に近いとこの出身なんだっけ うろ覚えやけど戦国時代とかの槍って数揃えて叩きつぶすんじゃなかったか >>519
捨てがまりも創作やしなあ
有名な泗川の戦いなんかは圧倒的劣勢を覆しての勝利だったのは間違いないんだがな
家康や利家ら五大老が義弘・忠恒父子に出した感状が島津家文書に残ってる
「誠以御手柄無比類次第候、殊江南大将九人、合人数貳十万騎有之處、如此之儀無申計候」
誠に比類なき御手柄である。江南(明軍)の大将9人、敵総数20万に対してのこの度勝利は言葉に言い表すことはできない。 今更ながら地元の歴史勉強したら後三年の役ってその後の影響デカくて草 >>619
まあ幕府いうても義澄政権やし
関東管領は基本的に室町幕府(細川政元)陣営やからなあ >>629
三間槍再現して戦ってる動画あったが
しなってまともに刺せんから、鞭みたいにしならせて殴ってたな >>626
最近小山氏が出てきたの見てええやん思った >>628
蚊は流石にあかんやろ
当時は伝染病の知識がないとはいえ この辺りの時代からの「出家したからセーフ!」理論ってなんで受け入れられてたんや
状況が変わったからやっぱり戻ってきましたとかあり得るやろって今の価値観だと思うけど >>624
結局馬上の一騎となってこそ武士みたいな概念が邪魔したんかね
江戸時代になっても本物の侍は旗本~な感じで徒士はえらく軽んじられたし >>630
足利義輝とか義昭の時代にも伊勢おるもんな 綱吉「おかんに従一位取らせる為に接待しっかりやれよ」
吉保「おかのした」
吉保「吉良さんお願い」
吉良「おかのした」
吉良「浅野くんしっかりやってよ」
浅野匠「うあああああああああああああ」
綱吉「おかんに従一位とらせたいのに何しとんねん、死ね」
浅野匠「ぐぇー死んだンゴ」
そりゃ死刑になるわ 足利はなんで北条滅ぼしたんだろうな
北条とは縁戚結ぶほど仲がよかったのに >>643
完全に逆恨みやのに江戸時代に美談にされまくったからそれで定着してしまったな >>639
敵へ家督交代強要して前当主VS現当主で内ゲバやらした方が
一族郎党皆殺しするより楽と気付いたんや
皆殺ししやりまくった時代は後始末で揉めまくりで人的資源の浪費激しいねん >>93
九条と二条は皇別ではない
もちろん女系をたどれば天皇に行き着くけど >>644
北条が滅んだのは結果論や
一応生き残った北条も南朝側後でやらかして退場しただけやし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています