>>579
1333年(元弘3年)、後醍醐天皇に呼応して鎌倉に攻め寄せた新田義貞の
軍勢を迎え撃つべく、北条高時ら北条氏一門が当寺に篭もったが、
成すすべもなく自ら火を放って自刃した(東勝寺合戦)。
『太平記』によると、自害した者は一族・家臣283人、
あとに続いた兵も合わせて870人余であったという。