0001それでも動く名無し
2023/01/09(月) 12:04:25.03ID:rfxsHK9R0先日、大学時代に親交のあったスペイン人の友人と10年ぶりに旧交を温める機会があった。
現在ニューヨークのIT企業に勤務する彼は、進歩的でリベラルな欧米人の例に漏れずダイバーシティに対する関心が深い。
そんな彼との会話の中で、現在放送中のロボットアニメ「機動戦士ガンダム 水星の魔女」(以下、「水星」)が話題に上ったのだった。
「水星」は「親から子への呪い」を主題としている。家父長主義的な父親に人生を支配された少女が、黒い肌の少女の助けを借りて自由へ向かって踏み出す所から物語は始まる。
これはまさしく旧弊的なパターナリズムに立ち向かうリベラリズム・フェミニズムの構図そのものであり、まさに「令和のアニメ」だと筆者は感じていた。
「あのアニメからは、アフリカ系のキャラクターが徹底的に排除されている」。
だからこそ、彼の一言に私は虚を突かれた思いがしたのだった。
「日本のクリエイターは、ネグロイドを忌避する前時代的差別意識を未だに自覚さえ出来ずにいる。
黒人のキャラクターは常にコーカソイドであり、ネグロイドは端役、あるいはスケアリー・ブラック・マン(威圧的な黒人。差別的ステロタイプの一種)の小悪党として消費される」
友人の正鵠を射た批評に、私は日本人の倫理的未熟を恥じ入るばかりだった。黒人への差別意識を温存したまま、形だけの「多様性」を欧米社会に倣った結果が、この歪な人種的偏りなのだろう。
日本人も、ダイバーシティについて本質的に学びを深めるべき段階に来ている。友人との対話の中で筆者はそう確信した。
独りよがりな創作姿勢を見直さなければ、日本のエンターテインメントが世界に置き去りにされる未来はそう遠くはないだろう──。