裁判官さん「なんか冤罪っぽい死刑囚おるけど同僚達の反発やばくて再審してあげられん…せや!」
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矢野伊吉「裁判官辞めて弁護士になって冤罪を証明したろ!」
15年後、無事無罪を勝ち取る
なお、矢野伊吉氏は無罪が確定する一年前に死去 矢野伊吉は昼間は会計課職員として勤務しながら、夜は独学で法律の勉学に励み、1937年(昭和12年)高等文官試験司法科合格。
1969年(昭和44年)高松地方裁判所丸亀支部長判事在任時に、財田川事件の谷口繁義死刑囚が提出した無実を訴える私信を発見。
裁判所は、この私信を正式の再審請求として受理して審理を開始。その過程で谷口死刑囚の無実を確信するに至ったが、他の陪席裁判官の反対があって再審を断念する。 1970年(昭和45年)8月に高松地方裁判所丸亀支部長判事を退官、弁護士として再出発。自ら谷口被告人の弁護人として新たに再審請求を行った。後に高松弁護士会より公務員として担当した事件を弁護士として取り扱うことを禁ずる弁護士法に触れる行為をしたとして懲戒処分を受ける。財田川事件の再審請求は地裁(矢野裁判長の後任裁判官による棄却)・高裁と棄却され、最高裁に特別抗告する。1976年(昭和51年)最高裁は、地裁・高裁の再審請求棄却決定に審理不尽の違法があるとして本件を地裁に差し戻す旨の決定をし、再審開始の要件について判示したいわゆる「財田川差戻し決定」を出す。その中で異例なことに、矢野弁護人の再審請求に際してのまだ審議されていない証拠を「無罪の明確な証拠」であるといたずらに世論を煽って再審を強引に行わせようとするなどの活動が批判される。
1983年(昭和58年)3月18日に再審の最中の71歳で死去。翌年の1984年(昭和59年)3月12日に無罪判決が言い渡された。 こんな人が無罪になるところを見れずに亡くなってしまうの見ると神なんかおらんなってなる なお
冤罪っぽいけど多数決で死刑判決書くしかねえ…→冤罪でした
本人は裁判官やめて認知症起こして死亡
こんなのもある >>10
反抗できない
しても相手にされないギリ健を捕まえて終わりにしてた事件多そう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています