【朗報】ロシアのチェチェン共和国で「あの日本料理」が大人気らしいwww【日本すごい】
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朝鮮民族の伝統料理キムチが、ロシア南部の山岳地帯に暮らすイスラム系チェチェン人の食卓に根付いている。ソ連時代の独裁者スターリンが両民族を旧日本軍やナチス・ドイツのスパイと呼んで、いずれも中央アジアに強制移住させたのがきっかけだ。全体主義の抑圧から生まれた食の融合を追った。
グロズヌイの総菜店でよく見かけるのがキムチ。各店で尋ねるとレシピはほぼ同じ。白菜またはキャベツをニンニクやトウガラシとともに3日ほど漬け込み、パプリカを散らす。「チェチェン人にとってキムチは家庭の定番料理」と市場関係者は口をそろえた。
総菜店のチェチェン人女性によると、キムチの作り方は朝鮮民族から先祖が教わったという。チェチェン料理はスパイスを使うため、キムチも口にあったようだ。 1989年の国勢調査によると、チェチェンと、隣のイングーシ地域で計約630人の朝鮮民族がいた。しかし、91年のソ連崩壊後はロシアからの分離独立を求めるチェチェンとロシア中央政府との間で紛争が起きたことで、朝鮮民族は難を逃れて街を去り、生き延びたチェチェン人にはキムチが残った。
もともと朝鮮半島にいた朝鮮民族は19世紀中頃からロシア沿海州に移り住み、極東発展を支えた。だがソ連誕生の後、スターリンは大陸進出を強める日本に警戒を強め、37年に朝鮮民族に日本のスパイと汚名を着せてソ連のカザフスタンなどに強制移住させた。
一方のチェチェン人も44年、ソ連に侵攻したナチスの協力者と疑われ、カザフの荒野に追放された。ユーラシア大陸の東西に分かれ、宗教も食習慣も違う両者はくしくもカザフで巡り合うことに。朝鮮民族について詳しいロシア極東の女性(47)によると、チェチェン人はこの頃からキムチの作り方を学び始めたという。 愛知県立大の半谷史郎教授(ロシア研究)によると、朝鮮民族は強制移住させられた少数民族の中では比較的自由に移動ができ、市場で働くケースも多かったことから、チェチェン人と接触する機会が多かったとみられる。「キムチがチェチェンにまで到達した背景に、スターリンの民族政策があるのは間違いない」と分析する。
また朝鮮民族はソ連の諸民族の中では例外的に稲作のノウハウがあり、農業の指導などのため戦後はチェチェンを含めてソ連各地に広がった。一方、チェチェン人がカザフから故郷に帰還するのは、スターリン死後の57年まで待たなければならなかった。
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