作業着はごみ箱に捨てた
 ロッカーに残っていた作業着を手に取ると、そのままごみ箱に放り投げた。空のように真っ青な作業着。左胸に三菱重工業(東京)のシンボルマーク「スリーダイヤ」が赤い糸で縫い取られていた。持ち帰らなかったのは、会社人生にきっぱりと別れを告げたかったからかもしれない。
 オフィスの窓からは、名古屋空港(愛知県豊山町)から飛び立つ飛行機の様子を見ることができる。陽光を反射した機体が空で輝く。「きれいだなあ」
 幼いころから飛行機が好きでたまらなかった男にとって、国産初のジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット、現スペースジェット)」の開発を主導するのは、夢のような仕事だった。
 開発の始動から11年後の2019年3月、男はその夢舞台から降りた。仲間の拍手に見送られながら、自分の車に乗り込んだ。
 飛行機開発の最高責任者で、1000人以上のチームを束ねるチーフエンジニア。三菱重工業(東京)の威信をかけたMRJプロジェクトの現場トップとして、6年間にわたりその職を務めた岸信夫(63)は、定年退職を迎えた。

(中略)
 チーフエンジニアに就任してから4度の納入延期をした。岸も、周囲のエンジニアらも決して諦めず、手を抜いてこなかったはず…。MRJから離れて3年がたった今も、岸の頭の中で堂々巡りは続いている。
 「どうしてできなかったのだろう」

https://www.tokyo-np...co.jp/article/173114