>>17
代わりに『衆道の契り』ゆーのがあってな、ソレを交わすと他の男とホモセする事は許されんのや。事実上のホモ婚やな。
但し女(奥さんのみ)と子作りするのはアリなんや。
そんで信長の跡取り息子の織田信忠はこの時代には珍しくホモセ嫌いな人だった。
そしてもう1人ホモセ嫌いで有名な人物が信長の部下である秀吉だった。
信忠は信長の後継者なので京都に滞在する事も多く、公家衆は若いイケメンで次期最高権力者確定の信忠にチョッカイを出す者も多く、
その中には信忠でも断り難い高位の公家もいた。
ソコで信忠は同じくノンケの秀吉にコレを相談したトコロ、秀吉は
「じゃあアナタと私が衆道の契りを結んでいる事にすれば良いじゃないですか。そうすれば建前上誰もアナタに手を出せませんし、そもそも私のようなブサイクな男が好みとあれば馬鹿馬鹿しくて誘う気もなくなるでしょう」
と提案したという話が伝わっている。
とは言えコレは江戸時代になってから出来た物語に出てくる話で、信忠秀吉存命中の信用度の高い史料には出てこない話なので、まあ作り話なのだろう。
しかし逆に考えれば江戸時代には『衆道の契り』というホモ結婚的なモノが存在したという証拠にはなる話だ。
ちなみにこの衆道の契りには他にも「街中の喧嘩などの刃傷沙汰や武士の不始末上の切腹などの時には駆けつけて一緒に死ぬ」という契約も含まれていたらしい。