近衛 十四郎

新潟県長岡市西新町で、父・目黒多七、母・ミカの長男として生まれる(姉と妹に挟まれた長男だが、実の長男は早世しており正確には次男)。13歳で父を亡くし、その後は母によって育てられる[2]。

長岡工業学校卒業後[1]、映画俳優を目指し、1932年市川右太衛門プロダクションに研究生として入団する[1][3]。最初の芸名は長岡秀樹だった。東亜キネマを経て[3]、役者の腕ではなく野球の巧さ(ショートの守備は映画界でも白眉だったという)を買われて日活に引き抜かれ[1]、『血煙り荒神山』でデビューした[1]。しかしもっぱら「鉄棒組(大勢で「御用!御用!」と連呼する「捕り手」集団の一人)」に甘んじていた。