私は、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。小さな集落でしたが、朝学校へ行く際、すれ違う人みんなが「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」と声をかけてくれるような、あったかい大川がとても大好きでした。

あの日、中学の卒業式が終わり、家に帰ると大きな地震が起きました。逃げようとしたときには、すでに地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人を飲み込みました。

しばらく津波に流された後、私は運良く瓦礫の山の上に流れ着きました。その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると、釘や木が刺さり足は折れ、変わり果てた母の姿がありました。

右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが、私1人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り一夜を明かしました。

そんな体験から今日で4年。あっという間で、そして、とても長い4年間でした。家族を想って泣いた日は数え切れないほどあったし、15歳だった私には受け入れられないような悲しみがたくさんありました。全てが今もまだ夢のようです。
https://logmi.jp/business/articles/43361