クロワッサン症候群(クロワッサンしょうこうぐん)とは、人生の選択肢としての結婚を拒絶したが、結婚や出産適齢期を越えた年齢になり、自分の生き方に自信がもてなくなり焦りと絶望を感じている中年女性たちの心理的葛藤の形容である。
1988年に刊行された松原惇子の『クロワッサン症候群』を語源とする。

1980年代日本経済はバブル期を迎え、男女雇用機会均等法[1]が施行され、女性たちは男性と同じ条件で働き、同等の賃金を得ることが可能となった[2][3]。
結婚生活、子育てというコストを払わない独身の彼女たちは、有り余る可処分時間と経済財を、ファッション、グルメ、海外旅行(留学)、結婚を前提としない恋愛...等に自由に振り分けることが可能となった。
そのような女性たちにとって自分たちの母親の人生は、家庭に縛られ夫や姑・舅に尽くすだけの従属的生活としか理解出来なかった。
彼女たちにとってはもはや母親と同じ道を歩むという選択は不可能であり、結婚そのものを拒否するという新しい生き方を模索するようになっていった[4]。

雑誌『クロワッサン』はそのような女性たちにシングルという新しいライフスタイルを提供し、彼女たちにとってはそれはバイブルのようになった。

(中略)

とりわけ自ら外国人の恋人との間に3人の子をもうけながら、彼に経済的に依存せずシングルマザーを実践した桐島洋子の生き方は女性たちの憧れの的となった。
彼女たちにとって桐島は自分たちにシングルという新しい女性の新しい生き方を自信を持って示す伝道者であり、桐島の生き様は自身の選択の正しさを確信させるものであった。

しかしながら桐島洋子は子育ての後、突如、年下の資産家の男性との結婚という選択を行った。多くの読者にとってはそれは予想もつかない展開であり、裏切りとも映った。

だがメディアを通して提供される彼女たちの生き様は、彼女らの生活を1つのストーリーに沿って再構成し、それに従って現実から一部を切り取ったものに過ぎなかった。
その事実に気が付いた段階では、同誌の愛読者たちの多くは結婚、出産適齢期を過ぎており、同世代の男性が結婚を忌避しない年下の年齢層の女性と結婚するのを尻目に、彼女たちにはもはやなす術はなかった[9]。

群ようこは自著のエッセイの中で、 このような女性の状況について、「展望台の2階に上がったら、始めはすごく眺めも良くて気持ちが良かったけど、 気が付いたら、誰もいなくなっていて、あわてて降りようとしたら、 階段もなくなっていた」と喩えている。


これの再生産してない?