【悲報】原監督、巨人76年ぶり“途中退任”の現実味 坂本優遇で若手萎縮…求心力に「もう限界」の声
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プロ野球、セ・リーグで3年ぶりのペナント奪回を目指す巨人は4月9日までの9試合を3勝6敗で終え、完全に開幕ダッシュに失敗した。原辰徳監督(64)は打撃不振の坂本勇人、丸佳浩をスタメンから外し、立て続けにカンフル剤を打った。9日の広島戦(マツダ)では松田宣浩をプロ初の二塁で起用する驚きの采配も見せた。
しかし、原監督の真骨頂である“動の采配”でも連敗を抜け出せなかった。原監督をよく知るNPB球団元監督が指摘する。
「原さんのベンチワークが目立つときはチーム状態が悪いときが多い。シーズンは始まったばかりなのに、もう追い込まれている感じがする。私は巨人をBクラスに予想したが、最下位もあるとみている。原さんが最後まで(監督として)持たないこともあり得る。去年から求心力は限界で、その時に辞めておけばよかったのだが……」
門脇の凡打にベンチを叩いて悔しさあらわ
原監督は4月5日のDeNA(横浜)戦で、前日まで15打数無安打と絶不調だった坂本に代え、遊撃にドラフト4位ルーキーの門脇誠をスタメン起用した。門脇はこれに応え、第1打席にプロ初安打を放った。
だが、その後は0-2の七回無死一、二塁で左飛に倒れ、走者を進めることさえできなかった。この時、原監督は思わずベンチを叩き、悔しさをあらわにした。チームはそのスコアのまま敗れ、原監督は翌日、坂本をスタメンに復帰させた。
「この試合で門脇は0-1の五回無死一塁でも初球を簡単に打ち上げ、一飛に終わっていた。ただ、強攻策は原さんの判断。特に七回はバントが最善手ではなかったか。たった1日で外されれば、門脇には初安打した手応えより、好機に凡退した自責の念ばかりが残る。それもマスコミに対して試合後に“明日は坂本を先発で行ってもらう”と明らかにする新聞辞令のような形でね。若手選手が萎縮する原さんのやり方は今年も変わらないんだなと思った」(元監督)
そもそもオープン戦で門脇は打率2割8分6厘と1割1分1厘の坂本より、はるかに結果を残していた。それでも、原監督には坂本の実績が捨てがたかったようで、開幕からスタメンで使った。自身の信条である「実力至上主義」が揺らいでいた上、一度や二度の失敗でルーキーを使わなければ、育つものも育たない。懲罰的な起用法で選手の反骨精神に訴える原監督の手法は過去の遺物になっている。 帽子たたき付けた2003年を彷彿
このDeNA戦で原監督がベンチを叩いた姿には、第1次政権時代のあるシーンが重なる。2003年の阪神戦、“星野阪神”の独走を許していた状況下で、原監督は自軍の内野選手のふがいない失策にベンチで帽子をたたき付け、怒りをぶつけたのだった。
同年途中に就任した三山秀昭球団代表との確執などから原監督はこの年限りでの辞任を決意した。このシーズンは最後まで指揮を執ったものの3年契約3年目を全うせず、当時の渡邉恒雄オーナーが「読売グループ内の人事異動」と表現した退任に至った。
奇しくも今季は3年契約の2年目。ベンチで激昂するところに因縁を感じずにはいられない。
確かに今季は03年と状況は同じではない。昨オフは「底に近い状態。選手を入れ替えている時期、過渡期を迎えている」と位置付けながらもFAを軸とした大型補強には恵まれなかった。選手としては峠を過ぎた松田、長野久義の獲得、オコエ瑠偉の現役ドラフトでの指名が話題を呼んだぐらいだった。
巨人では“三冠王監督”以来の汚点
原監督の復帰の経緯を振り返っても、一度も優勝できなかった高橋由伸前監督の後任として三顧の礼で迎えられている。編成権を含めた全権を手中にし、後継監督を育成するキングメーカーの役目まで託された。03年と異なり、フロントに対し、原監督は圧倒的に優位に立ち、読売本社が簡単には引導を渡せない状況ではあるのだが……。
「自らが辞任を申し出てくれば話は違ってくる。今年、3年連続で優勝を逃せば進退問題は必至。これまでのようにコーチに詰め腹を切らせるだけでは済まされないことを原監督も自覚していると思う。仮に続投したとしても来季の補強の見通しが立たなければ勝算はなく、晩節を汚すだけになるわけだから」(元NPB球団社長)
巨人では監督休養の例がなく、「NPB史上初の三冠王」として知られる中島治康選手兼任監督が1947年、6月に成績不振(10勝19敗)により事実上、解任されて以来、シーズン途中で監督交代したケースもない。近年では成績不振で途中解任が取り沙汰された堀内恒夫監督、高橋監督もシーズンを全うした。また、旧監督と新監督、2人が同席しての“禅譲”会見はNPBきっての名門球団の権威が醸し出されてもいた。途中で投げ出してしまえば、球団史に汚点を残すことになりかねない。
原監督は03年の退任会見で「巨人の監督とは?」と問われ、こう答えている。
「勝つということが全て」
ONの後に4番を務めた現役時代から、それを果たせなかった時の身の処し方は誰より理解している。4月11日からは東京ドームで岡田彰布新監督が率いる好調阪神との3連戦に臨む。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ea732aaf1e1846074c8cebf7ab8834e53e5c2fe9 知らねーよバーカ負け犬球団死ね
誰も興味ないよキチガイ 息子が捕まるか山上みたいなのに粛清されん限りは無理やで
GMで居座るやろこいつの性格上 松田セカンドは間違えたのか?
あの後吉川になったし 76年間途中退任ないってまあまあ凄いな
オリックスなんてここ10年で 76年間途中退任ないってまあまあ凄いな
オリックスなんてここ10年で3回起きてるぞ 数年前の中日とそっくりだよな
老人だらけで我慢して使いたい若手もいない >>17
去年より今年2ランクくらいヤバさがアップしてる気がする バカ「松田なんて獲ってどこ守らすんだよ」
アホ「代打兼ムードメーカーで守備機会なんてあるわけないだろ」
ガチ「セカンド松田」 >>16
この年なんかな
シーズン途中の6月23日、戦中・戦後の人員不足の時代にチームを支えた黒沢俊夫が腸チフスを発病し、急死した。球団は球団葬を行い、黒沢が付けていた背番号4は永久欠番になり、これと同時に1944年に太平洋戦争で戦死した沢村栄治の背番号14も永久欠番になった。
チームは5月に最下位に転落すると、6月5日には選手兼任の中島監督が現役に戻り、チーム生え抜きの三原脩が監督に就任。
三原新監督のもと、チーム成績を建て直すも優勝争いに加わることはできず、8チーム中5位でシーズンを終えた(優勝と阪神に22.5ゲーム差)。
この年は6位の東急に12勝4敗1分、7位の太陽に12勝5敗と大きく勝ち越しも上位陣には歯が立たず、優勝の阪神に5勝12敗、3位の南海には6勝11敗と大きく負け越し、阪神の戦後初優勝のアシスト役になってしまった。 そもそも巨人の歴史で初の同一監督による2年連続借金フィニッシュを達成してるんやからすでに歴史的愚将やろ
あの堀内や長嶋ですら達成できなかった快挙や 由伸は若手の育成してたが原はまじで誰を育成してるんだ?
こいつほんと遺産を食いつぶすしかできない無能だろ >>27
流石戦後直ぐやわ…
これで解任は気の毒やな 勝者のメンタルを注入できる原と若手に積極的にチャンスを与える立浪
これもうトレード確定だろ… 辞めた原をまた引っ張り出したのは虚カスやろ責任持って一緒に心中せえよ >>32
野手のドラフトが終わってるんだよな 投手も今年次第では戸郷大勢しか残ってないパターンもある まぁ大丈夫やろ
立浪がストッパーになって原は助かるやろ 今の巨人って安倍が粛正されてなかった世界線の日本みたいやな この際前評判悪かろうが阿部でもええやろ
とにかく原から変わらんとあかんで 原やめろや原やめろや原やめろや原やめろや原やめろやに、。 >>44
正直丸坂本中田あたりが不調なのってこいつの責任やろ
もちろん連れてきた原が悪いんだけどさ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています