1988(昭和63)年春、栗栖は千葉県松戸市立中学校への入学を控えていた。地元の小学校の優等生だった栗栖は、入学式で新入生代表として「誓いの言葉」を述べることとなった。その準備のため、入学前の中学校へ出向いた。

出迎えた担当教員が、当時30代の国語教師・村越康(仮名)だった。第一印象は「柔和な顔つきで良い先生そう」。体育館で予行練習しよう、と優しく声をかけられて緊張がほどけた。

ただその予行練習で、ちょっとおかしいなと思うことがあった。

「私が胸を張って歩いてみせたら、それはダメだと言われたのです。新入生は不安を抱いて入学するのだからもっと下を向いておどおどしなさいと。あれっとは思いましたが、子どもは子どもらしくと言うような大人はどこにでもいるし、あまり気にせず言われたとおりにしました。今思えば、その時からターゲットの選定が始まっていたのかもしれません」

入学すると、担任は村越だった。栗栖はもともと別のクラスに決まっていたが、そのクラスに似た名字の生徒がいるという理由で入学式直前に差し替えた、と聞かされた。以降、卒業まで担任が変わることはなかった。

1年生の1学期はさほど問題なく過ぎていった。栗栖は学級代表に選ばれ、部活動は顧問の村越から誘われる形で男子バレーボール部に入部した。通知表では学習姿勢が非常に積極的だと評価されている。

しかし2学期に入ると、栗栖は村越からたびたび放課後に残されるようになる。呼び出されるのは校内の会議室など人目のない場所で、勉強や生活指導は一切ない。「お前には問題がある」の一点張りで、10月頃には制服の上から陰部を触られるようになった。

嫌がると、「お前はわがままだ。クラスから出ていけ」「おれがいないとお前は何もできないし、いじめられる」などとなじられた。4~5時間、遅くなると午後10時頃まで続いた。

村越による加害はエスカレートした。長時間なじられた後で「何をしたいか言ってみろ」と問われ、何を答えても許されず、錯乱した時に誘導される形で「キスしてください」と言わされた。それが脅しの材料となり、さらに服従を強いられるようになった。3学期になると抱きついてくるようになった。最初こそ抵抗したものの、「お前は自分のことしか考えていない」とたびたび平手打ちをされた。

被告は(略)原告に対して同性間の性的行為(キス、フェラチオ等の行為)を求めるようになった。(略)被告は、中学校という閉鎖社会の中で圧倒的に優位な立場で生徒を支配することができる教員の立場にあり、(略)原告は、被告の求めがあるたびに、被告との同性間の性的行為を、不本意ながらも、反復継続的に繰り返すほかない状態に陥った。
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