【悲報】織田信長さん、ポリコレの圧力に負けて黒人を侍にしてしまう…
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<キリシタンの国から黒人がやって来た。年齢は26〜27歳ぐらいのようだ。全身がウシのように黒い。この男は健康で力が強く、10人がかりにも勝てそうだ。バテレンが連れてきて、(信長様に)挨拶させた(太田牛一「信長公記」)>
<信長も黒人奴隷を見ることを望んでいたため、宣教師のオルガンティノが連れていったところ、信長はその色が生まれつきで、後から塗ったものでないことを信じようとせず、帯から上の着物を脱がせた>(ルイス・フロイスの報告「イエズス会の1581年の日本年報」)> そして翌1582年5月11日、徳川家康の家臣である松平家忠の日記に「信長には弥助という名前の黒人の家来がいる」という記述がある。信長が家康と組んで武田勝頼を攻め滅ぼした「甲州征伐」の際に、信長に随行していたようだ。
「信長様が、宣教師から進呈されて召し抱えたという、黒人を連れておられた。身は墨のようで、身長は6尺2分(約1メートル82センチ)。名は弥助という」(家忠日記) しかし、その後、信長は、この黒人をすごく気に入ったようだ。
フロイスは「黒人奴隷は少し日本語が分かったので、信長は彼と話して飽きることがなかった。また、彼が力強く、芸も少しできたので、信長は多いに喜んで庇護し、人を付けて京都市中を歩き回らせたので、『信長は彼をトノ(武将)とするのでは』という声もあった」と振り返っている。
完全にポリコレに屈した模様 ポリコレ欧米人「人種差別はNG 黒人も要職に就かせろ」
信長「はい」
ポリコレ欧米人「LGBT差別禁止 ゲイも働きやすい職場にしろ」
信長「はい」
ポリコレ欧米人「レディーファースト 特に部下のパートナーには気を使うように」
信長「はい」
ええんか… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています