織田信雄(のぶお)、小牧・長久手の戦いのあと、家康と秀吉を仲直りさせようとしていた
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0001それでも動く名無し
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2023/05/01(月) 23:42:04.28ID:+/cXZfnDp
tps://news.yahoo.co.jp/articles/a89e7a66699f0dd50bb11426c536b6ce7055b88d
 小牧・長久手の戦いは1584年3月に、信雄が秀吉に通じていた疑いのある家臣を殺害し断交したことを契機に起きたものだ。同月から11月にかけて、羽柴(豊臣)秀吉と織田信雄・徳川家康の連合軍が、尾張北部(現在の愛知県小牧市付近)や美濃(岐阜県)などで合戦を行った。信雄は家康と共に秀吉と戦うが、秀吉勢の猛攻に耐えきれず、単独講和。その後は秀吉に臣従する大名となった。

 書状は秀吉と家康との緊張状態が続いている中で作成されたものとされ、信雄は「秀吉も(家康の)考えを詳しく承知し、慎重にことを進めるだろうから、ご安心ください」などと、家康が平和裏に秀吉に臣従するよう仲介している。
0002それでも動く名無し
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2023/05/01(月) 23:42:57.89ID:RxjQvzSK0
名前がもうアカンわ
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