1932年1月 カイザーホーフホテルで昼食を食べたヒトラー一行が1時間後に様態急変。副官が死にかけるもヒトラーは少食だったので無事。

1938年11月9日 スイスの神学生がミュンヘンパレードで射殺を計画。人混みが予想以上で全然射撃できず、無理だった。その後無賃乗車で逮捕され、所持品に拳銃が見つかり万事休す。

1939年11月8日 ミュンヘン一揆の日の演説で爆殺しようと家具職人が時限爆弾を設置。演説予定時間の1時間10分後にセットしたが、思いの外早く57分で終わったために無関係な人を多数殺傷したのみで終わる。(ヒトラーの演説は長いことで有名だが、この日は予定が押していた)

1939年4月20日英国の大使館付き軍人が、ヒトラーが誕生日パレードで住んでいる所のすぐ近く(100m)を通るため本国に「確実に仕留められる」と狙撃を打診するも英国は却下。17年後に判明したが、却下の理由は「スポーツマンシップにそぐわないから」。