0001それでも動く名無し
2023/05/04(木) 10:45:01.49ID:JDc//oD503回が終わってダッグアウトに戻り、燃えるような胃の痛みを訴えるネッチアイに、監督のジョージ・デトアは出来る限り長く投げるようにと突き放し、そのまま続投させた。
ネッチアイはその次の打者からも三振を奪い、ノーヒットノーランに加えて9回27奪三振という北米のプロ野球の歴史においても史上唯一となる究極の記録が達成された
1953年1月にネッチアイは同世代の多くの若者と同様に朝鮮戦争で徴兵を受けたが、戦地で胃潰瘍が悪化して体重が激減してしまい、間もなく除隊した。
その後にパイレーツへの復帰を焦って投げ急いだために回旋筋腱板が引き裂かれてしまい、1953年シーズンはあまり登板出来なかった
1955年はマイナーリーグで数試合登板したが、怪我を完全に克服する事は出来ず、このシーズン限りで現役を引退した。苦しんでいた胃潰瘍は引退後には再発しなくなったという