夜中やし三国志でも語らうか
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そういや曹操の墓が見つかったらしいけど新情報何か出てきたかな? 例えば歴代徳川将軍みたいに位牌で身長わかる的な面白いやつ 偉人のパワーの一つとしてコンプレックスはあると思うんだけどあの時代は低身長はバカにされてたんかね? 孔子がアホみたいにデカいのは見た目が良い評価されとるよね 先月末に曹操高陵遺跡博物館オープンしたな
曹操の詩歌を暗唱できたら入館料無料になるらしいで >>7
そのトピック新聞で読んだわ楽しい試みよね中国の勉学で漢詩ってどんな扱いなんやろね?日本で言う俳句短歌位かな 三国志は魏がつくったとして蜀呉には有名歴史書なかったのかね?あったとしても世にひろがらんか >>11
う~ん確かに袁術滅亡の後どこ行ったんやろ普通に考えたら曹操保持かな? 諸葛亮の扇子からビームが出るのって、あれは史実なん? 編纂したのは蜀や
>>17
マジやドンパッチソードも持ってるで 呂布の身長は190cmって墓とか骨とか物的証拠はないんか? >>4
墓から出てきた骨調べたら155㎝くらいだったみたいやから当時で言えばそこまで小さくないらしい 曹操←言うまでもなし
曹仁←武力は張遼以上
曹洪←これ 長男ズで優秀な人少ないのなんでなんやろか?孫策位で曹昂袁譚は怪しいし劉奇と阿斗チャンはう~ん馬超は長男だったっけか >>21
じゃあ孔子がなんやこいつで注目集めれたのはマジなんやね2mって 三国志語る時って正史ベースで話すん?それとも演義なん? >>26
名コピペやけど何を思ってあの文章が出来たのか不思議過ぎるわ人間って面白いわ~ >>20
あるで
呂布が着てた鎧は出土してる、そこから推測して約195cmと言われている
まあ呂布は涼州の出だから漢民族というよりモンゴルとか騎馬民族に近かったんやろうな
ちなみに呂布が使ってた槍は30斤(20kg)もある >>28
あ~おったわでも司馬懿がスゴすぎて霞まない? みんな三国志の知識は主に何から得たんや?
横山光輝三国志か蒼天航路とか? >>21
クソチビやで
当時の大陸の平均身長って170cmくらいやし
実際曹操も身長がコンプレックスだったから包容力のある人妻が好きやった そろそろ諸葛亮死後を語るべきやな
だいたいいつも同じやし 曹操さんの墓の中にあった骨をDNA鑑定したら現代で60何代目かの子孫を名乗る人と血の繋がりが証明されたってホンマなん? >>24
元々曹仁、曹洪は曹操と五分の一族で献帝擁立ぐらいまでは同盟者扱いやからな
軍閥のボスで手勢の数自体は反董卓連合時点では曹操が一番勢力としては小さかったと考えられているぐらい >>35
三國志ゲームやってそこから横山読んでの順で好きになったわ >>35
中学生の頃にバッバの形見の横光三国志でハマったのがきっかけやな
後はシミュレーションゲームの三国志や三國無双でのめり込んでいった >>33
モンゴル人ならデカいは説としてどうなん?馬と生きる人達なら小さい方が良さそうなのに 曹丕「皇帝から帝位の禅譲を受けたからワイが皇帝や!」←分かる
劉備「皇帝の血筋をひいているワイが皇帝や!」←分かる
袁術「皇帝が使っている印を持っとるからワイが皇帝や!」←分からない
孫権「ワイも皇帝や!」←こいつ >>31
花関とか創作ごっちゃになっちゃうんよね
しゃあないけど 昔の三国志板で黄忠になりきってるスレがあって「傅士仁」として黄忠野郎に話しかけたら漢字間違えてて「博士仁」になっててクソほどバカにされた記憶あるわ、あのジジイ許さねえ 劉備の呉攻めが荊州奪還と仇討ちどちらがメインなのか
関羽と劉備は主従というより同盟に近かったんじゃないか
この二つを考えだすと結論が出ずに眠れなくなる >>43
>>44
ゲームでも知識つくもんなんやな >>47
文字通り天下三分で拮抗させるからな
とはいえ小競り合いはあるし >>48
劉備が死んで漢の天命も潰えたから名乗ってええやろの精神 >>40
なんやそれオモロイどっかの織田さんの子孫にも試して欲しい >>53
まあ誰が有名人なのか一番分かりやすいからなゲームは >>51
ホンマは荊州奪還やと思う。
でもそもそも魏を倒すっていう名目で即位したのに呉とドンパチやって潰し合うのはガイジだよねっていうこと >>48
劉備が皇帝名乗った時点で皇帝の価値が地に落ちたからな >>42
ワシも何なら三国志漫画no.1かも片チンのギャグセンスが活きてる魯粛のキャラ好きやわ >>51
単独で許昌攻め練ってたあたりかなり大きな権限を持たされた軍団長という認識ではあるが同盟という解釈はしたことなかったわ ゲームでも荊州めちゃくちゃ大事やからな
あそこから許昌狙えるし >>52
蜀・呉の侵攻防いでその後緊張の糸が切れて大規模な宮殿造り始めてすぐ死んじゃうからな
名士共の無駄な名声上げに現実見ろアホって容赦なく免職させるくらいはちゃんとしてるお方 >>33
ロマンあってええな
許褚の体躯とかも気になるわあの時代にそんな太れたんか >>51
劉備軍の主力や幹部は全て荊州閥だから
益州なんて平定したばかりで民心掴んどらんし
荊州失ったら益州の奴らとのパワーパランスが崩れるから空必死よ >>51
Youtubeの間違いだらけのゆっくり解説者の妄想をまともに受け取るタイプやな草 >>63
最近のゲームだと益州からの北伐がほぼ無理ゲーなんよな >>58
ワイも最近はそう考えることの方が多くなってきた
蜀に荊州ないとジリ貧なのは間違いないしな
呉としても荊州ない蜀と組むメリット薄いから関羽攻めたわけやし >>62
関羽死んだ後魏での扱いが君主並やねんな
劉備関羽に自覚なくても事実上の連合国みたいになってたんかも >>71
物資輸送とか13の兵士わんこそばとかエグかったわ >>69
字が季常だから4男や 季は末っ子って意味や >>71
関中から長安経由で狙えんことはないけどクッソ難しいな
補給線が長くなる >>74
じゃあ上から123は名前も残ってないとかどっから五人とも優秀説きたんやろね?謎やわ 今更無双8期待せずに中古で買ったけどそれでもハードル下回ってきたわ
9もう出ないんやろか 結局戦犯ヒゲって結論になるよな
現実的には厳しかったんやろうけど スリキンの人物描写がうますぎてイメージ固まってしまったわ特に許攸 >>81
もしかして三国志って中国版判官贔屓なんか >>84
しかも本人は神格化されて美味しい思いしてると言うね >>84
なんで足並み揃えて攻めんかったんやろうな?
諸葛亮の当初の計画では
益州→長安
荊州→許都
(呉→徐州)
って計画じゃなかったっけ? >>82
一応隋の時代の資料から、馬玄、馬康、馬津の名前が書いてある
隋代だからあてにならんけど >>33
これ気になって検索したけど呂布カルマの身長の話しか出てこなくて草 >>87
ねっ五常はどっから来たんやと下二人が教養人やから上三人もそれなりな筈なのに >>84
真の戦犯は蜀入りした後も自分のメンツ気にしてなかなか成都攻略に向かわなかった劉備
その間に食糧庫の漢中を曹操が占拠し人と兵糧を持ち去った
劉備が漢中を得たあと動きが止まったのは兵糧がそこで尽きたから >>89
あの時代の通信網でそんな大規模な二方面作戦無理やろ >>51
諸葛亮は夷陵の戦いに内心賛成やったのではないかという説が興味深いわ
天下三分の計には主力の部隊を洛陽に進撃させるために荊州がどうしても必要なのは確かやからな >>90
あーなんだ名前まではあるんやね馬謖位派手やないと残らんだけか 蜀兵「えっ?この道で物資や兵糧を輸送しながら行軍を!?」
https://imgur.com/mUpTkRX.jpg 荊州返さずに呉と同盟維持し続けて法正も龐統も諸葛亮も馬超も70歳くらいまで長生きして徐庶もカ-チャン見捨ててるとんでもねえタラレバしても蜀は魏に対してやっぱりワンチャンもないんか? >>86
判官贔屓というより無常を強く押し出してる だいたい天下分け目なら官渡の戦いがおかしいやろ袁昭が負ける要素がどこにあるんやもし自分が仕官するなら皆も袁昭一択やろ? >>99
どっちにしろ髭が荊州取られるから無理ゲー Wikipedia情報やと張任の墓が現存するらしいな
別人の可能性とも書いてあるけど >>86
よく言われるのは曹魏を北方騎馬民族に、蜀漢を我ら漢民族に仮託してるって話やな
同じ弱者サイドやし漢王朝再興=漢民族復興でもなぞらえて感情移入する >>99
そこまでのIFじゃなくても街亭で手堅く引き分けてチョウコウが長安方面に撤退する状況を作れていたら隴西はほぼ確実に親蜀の自治区になっていて北伐は割と現実的に可能なレベルになってたと思うで
人事的な事で言うと法正が60歳まで存命して北伐の指揮者で諸葛亮は蕭何役として成都で劉禅による宦官重用を防ぐ政治に専念できるし >>103
「何?敵の本陣は守りが堅くて落とせないから兵糧庫の救援に向かった方がいい?うるせえお前が落としてこい
落とせなかったらお前は無能だし
落とせたらお前の見立てが間違ってたってことでやっぱりお前は無能な」 >>60
ワイの父親がこれにめちゃハマりしてたな
最短で統一できるルートとかノートにまとめてたわ >>102
おっ話の流れが面白い源氏じゃなくて平家ですか この前、マダラの車輪眼をサスケに移植したってスレ立ってたけどあれからなんか進展あったん? 赤壁の戦いの後の曹操→郭嘉がいればこのようなことにならなかったのに
夷陵の戦いの後の諸葛亮→法生がいればこのようなことにならなかったのに
郭嘉も法生も高く評価されていたんやな >>111
マジで袁紹って録でもない逸話しか残ってないねあんだけの一大人物なのに敗者の常とは言え寂しいわ >>114
実際に関中攻略したしな
優秀な軍政官や この頃にSNSやYouTubeとかあったら戦い方は大きく変わったやろうけど、結局は曹操や劉備がそれらすらも上手く使いこなしそう >>114
劉備が生きてる限りは誰も逆らえないんやろな
死んだ後は確実にガンになりそう… >>116
試合に出てないやつの評価が上がる現象みたいなもんやろ >>117
袁紹は一族が滅んでからかなり後に河北で「袁氏の治世は良かった」という老人がいたらしいで
国の治め方は優れていたんやろな >>110
そんな事言うなやこちとら三国志語りたいからスレ伸ばしの為に何でもいっちょかみの精神で必死に知識総動員しとるんやぞ 卑弥呼とあまり変わらん頃にこれやってたというのもすごい話やな 龐統って実際優秀やったんか?
戦死したイメージしかないけど >>114
嫌われてた史料はないで
法正が好き嫌いハッキリしていて自分に仇をなした者には容赦なかっただけで
しかもこの法正はただ軍才があっただけじゃなくて統治機構整備、組織作りの才もあって蜀科の制定にも参与している
諸葛亮とホウ統2人を合わせたような超チート人材や >>120
曹操は毎回これ罠やろ?と出てる情報逆張りしてそう >>100
ワイこの鎖の基礎打ち込む方の仕事がええわ
ホンマはそれも嫌やけど >>108
そういや今の中国人って結局漢民族なんか?あんだけ政変あってそんなもんなんやね >>128
軍官僚としてめちゃくちゃ優秀やったんやな
この手の人材って蜀にあんまおらんよな 超広大で人口も多い中華でガキの頃仲良く一緒にイタズラしてた曹操と袁紹が後にそれぞれ何万の兵を率いて天下をかけた戦いをするってのがいい
2人とも上級国民とはいえ 三国志のガチの研究者とかどっかの大学におるんやろか 陳舜臣の秘本三国志読んだことある人どれくらいおる?ワイ初めて読んだのがこれやったら色々と他の人と認識が違うんよ >>132
純血種的な意味での漢民族なんてのはとっくに居ないと思う
そう言う血統の話したら大概の地域の人種そうやけど >>127
ホウ統は軍事面で優秀な人やったらしいな
諸葛亮は政治家として優秀やったけどホウ統が死んで軍事面も兼務することになった感じや >>131
メインフレームの仕事とかしてるコンピュータ技術者やったんでそういうのが性に合うんやろな
休みの前の日とか徹夜でやってたしワイがファミコンできなかった >>134
歴史の大まかな流れはだいたい同じだけど派手で格好いい出来事は大体演技から
劉備一派の主要キャラの活躍が盛られてたりオリキャラも結構いる >>123
宦官の孫と名門の傍流じゃどっちが良い教育受けれたんやろか?蒼天航路の袁紹が曹操を際立たせる為の扱いやからもうあのイメージやわ >>132
それをいったら日本人も日本民族・大和民族じゃなくなって久しいわけやしな 龐統て漢字のテストに出したらほとんど正解しなさそう >>133
おらんから劉備が諸葛亮並みに重用した
そして更に重要なのは法正の出身地
法正は陝西省の出身でこれは諸葛亮が最初の北伐から使っていた長安への迂回ルート上にあり隴西のすぐ隣にあたる
法正の友だった孟達もここの出身
これは北伐に向けた水先案内人どころか現地での調略含めて大きな武器になったはず 中華の場合みんな漢化するからまぁ遊牧民だろうが漢民族でええんちゃうか? >>125
日本も話に交ぜるなら漫画の覇~ロード~があるねあれも無茶苦茶やけど >>134
たまに登場人物の没年を弄られる時がある
有名なのは夷陵で趙雲に殺される朱然は実際生きてて数十年後に病死とか >>132
一応パプログループで分けれる程度には漢民族は確立してるらしい
漢字使う気があれば漢民族やみたいに言うてる人もおるからそれなら大体みんな漢民族 >>144
どっちも頭は良かったやろうけど幼少期の育ち方はどうやったんやろな
ワイは読んでないからすまんが蒼天航路で袁紹がどのように描かれたいたのかわからんわ >>140
優秀だったとはいえ流れ矢で死ぬのはなあ
連環の計見破ったりとか裁判1日で片付けたみたいなエピソードが正史にもあるんかね? >>150
黄権は将軍だけど仮節持ちじゃなくて司令官の下で部隊長を務めるクラスやね ?統が生きとったら諸葛亮は益州に来ることなく荊州で関羽の補佐できてたやろ?
あのヒゲは諸葛亮の言うことなら聞くというか諸葛亮がヒゲの操縦するの上手いから呉と関係悪化せず麦城や夷陵は起きなかったやろ?
つまり劉関張を倒したのは劉璋の忠臣張任
>>150
そいつは夷陵で蜀に帰れなくなって魏に亡命したらしいで >>150
漢中で作戦考えたりしてたけど夷陵後に魏に降伏したのは痛かったな
夷陵でも軍監として劉備に進言したりしてたし 卑弥呼といえば覇ロードはまだやってるんかね
趙雲が関平産んだってのは聞いた >>159
龐統の死に関係なく諸葛亮の蜀行きは予定通りやろ >>161
あれを十何年も連載する気は誰もさらさらなかったろうよ >>155
単純に曹操天才袁紹凡人孫堅ハードボイルド劉備チンピラ董卓魔王の点プレちゃあ点プレ諸葛亮が意味わからん奇人変人でもあった >>159
諸葛亮はホウ統死ぬ前に巴郡方面なら侵攻している
蜀奪取後に劉備政権の首都になる成都に最初から行く予定やったのは確実
荊州に関しては関羽に守備を任せて成都攻略後は漢中方面に法正、荊州にホウ統、成都に諸葛亮がいる状態にする予定やったんちゃうか?と想像する 孫慮死んでもうた→孫登には頑張って貰わないとな
アカン孫登まで死んでもうた→まぁ孫和いるしいけるやろ
なお ワイキッズの頃はなんで荊州に諸葛亮おらんねんって思ってたわ >>165
孔明を変人に描いたのやっぱスウィート三国志の影響なんやろな >>156
最初田舎に配置されたのは確かなようやな
歴史のIFやけどホウ統は戦死しなければ中国史が大きく変わっていたと思う >>168
問題を悪化させた連中が生き延びてさらに国内情勢悪化させるの草生えない
胸糞過ぎるw 中華ゲーム見聞録:三国志を題材にしたRPG『呑食孔明伝』ファミコン版『天地を喰らう』ファンが10年以上掛けて開発した作品
ファミコン版『天地を喰らう』の原作は、週刊少年ジャンプに連載されていた本宮ひろ志の三国志漫画。中国では「呑食天地」と呼ばれ、ファミコン版は中国のおっさんゲーマーに今でも根強い人気があり、「呑迷(「迷」は熱烈なファンのこと)」という言葉も出てくるほどです。
https://www.gamespark.jp/article/2019/04/12/88892.html
本宮ひろ志の天地を喰らうのファミコンゲームは中国で人気あったんよな >>51
当時のヤツの分析だとこう
関羽の敗死後、曹丕は群臣に劉備が呉に報復をするかどうか下問した事があった。 世論は「蜀は小国で、名将と言えば関羽のみ。その関羽と多くの兵が失われた今、蜀に戦う力は無い」として、これを否定していた。しかし劉曄のみは「蜀が小国であるからこそ、劉備は国内に武勇を示さねばならず、親子の同然の関係である関羽を殺されて復讐しないのでは、その誓いを全う出来ない」と述べ、必ず報復をおこなうと見ていた。 もう一つ気になる事があるわ蜀は結局益州派閥と荊州派閥どっちが政権とったの? >>171
あれは曹操の諸葛亮評がないからやなかったっけ >>165
確か蒼天航路の作者って韓国人なんやっけ
国が違うと歴史の見方や表現も違ってくるのかね >>168
孫和の扱いがあまりにも悪すぎる
そりゃ孫皓に滅茶苦茶にされますわ >>174
今もスマホでよく似たやつあるしな
中身はかなり違うけど なんか歴史ネタのスレにスプリクトガイジ湧くな見てたスレことごとくでよったわ 兜に頭食われて親兄弟裏切ったガイジが地味に演義で救済されとるわ >>181
めっちゃ偉いよなそれ
軍のNo.2とかやろ? >>174
家の裏調べると色々アイテム落ちてたやつか >>171
何それ新しい論やん面白い確かにsweet三国志でも鼻にピロピロ挿したままの変人扱いやったね 曹操も父親大尉までなってるしワイは普通に洛陽でエリート街道乗ってたんでね?と思っとるわ
なお橋玄さんはさぁ!橋玄さんは息子誘拐されても構わず賊討滅したんだ凄い!と丸太小屋からの冷血落ち 三国志の時代の人物は年齢を気にしてなかったんやろか
没年ははっきりしていても生年がわからない人物が多いからな
その割には趙雲が常山郡真定県の人とか出身地だけはやたら詳しい >>177
あの曹操が知らんはずねえやろて事らしいけどまあ普通に知らんかっただけやろな >>166
ホウ統生きてるならホウ統と諸葛亮逆でホウ統益州の諸葛亮荊州じゃね?
あのヒゲ「ジジイの黄忠と新参の馬超と同列なのはやーやーなの!」とか言ってたから
同じく新参のホウ統よりも諸葛亮をつけると思うんだが
でも劉備が手元から放さない気もするな >>178
孔明出てくる頃には原作者死んで作画が勝手に描いてたらしい >>171
魯粛が魚人の三国志はNG
カクがカクタイゲンなのはなんj的にありやなそう言えば >>178
あー確かに在日の人やったと思って今ググって来たら台湾系の華僑二世やったわワシも韓国やと思ってた 三国時代の軍の階級がいまいちわからん
雑号将軍とか編将軍とか別部司馬とか >>191
人材マニアの曹操が知らんってのも引っかかる話ではあるんだよな 黄権ってすごいよな
まあまあ裏切り者なのにここまで誰からも嫌われなかったのはすごい >>194
なんでやsweet三国志はあの魯粛の為の漫画やろ可愛いわー 趙雲は、いつから日本でも「イケメン」化されたのか?
ここからはじめる! 三国志入門 第13回
2020.11.07
あくまで憶測になるが、この影響は大きかったとみられる。直近の例でいえば、1983~84年に本宮ひろ志が『週刊少年ジャンプ』に連載した『天地を喰らう』で、趙雲を長髪の美男子に描いている。本宮が人形劇に影響を受けたという確証はないが、他のキャラクターを見ても人形劇のイメージに近い。
ゲームにも「イケメン趙雲」が現れた。1985年に光栄(現・コーエーテクモゲームス)から発売されたシミュレーションゲーム「三國志」に登場する趙雲は、非常に颯爽とした凛々しいグラフィックだった。初代『三國志』は、中国の連環画を参考に描かれたと思われ、以降『三國志II』『三國志III』と、シリーズを重ねるごとにイケメン化は進んでいった。『真・三國無双』は趙雲がデフォルトキャラに設定されているが、それは言うまでもなく二枚目のイケメンである。
https://www.rekishijin.com/9812
この話も面白いな
趙雲がイケメンキャラになったのは天地を喰らうからではって
当時の光栄の社員が趙雲贔屓だったのもあるやろし
その後は三國無双も中国の実写ドラマでも趙雲イケメンキャラになってたわけやし >>192
制圧したばっかの首都にスーパー内政マンの諸葛亮いなかったらどうにもならんやろ 家畜を屠殺してもてなそうとしてるのを勝手に勘違いして恩人皆殺しにしたエッチ大好きマンの黒歴史って演義だけのエピソードなん? >>192
蜀科って言う劉備政権の法律作るのに忙しいから益州からでれんのやないか >>185
死ぬ直前だから名誉職だろうけどね
ただ魏に降ってから曹丕の煽りをことごとくやり過ごして生涯を全うしたのは凄い、司馬仲達からも高評価
同じ降将でも孟達は曹丕が高評価して司馬仲達がこき下ろしてるのが正反対 >>191
徐庶司馬徽呼んだのにしらんとかあるんかね?
話ぐらいはきいとるやろ >>200は不足してた
> しかし、そのイメージがガラリと変わったのはNHKで放送された『人形劇 三国志』(1982年)からだ。人形の生みの親である川本喜八郎は、趙雲をスマートな色男に造形したのだ。ひと目見れば、もう惚れ惚れするような格好良さである。
人形劇三国志がイケメン趙雲の先駆けではって >>193,195
ワイも今ググったら途中で作者が変わったんやな
今度ワイも読んでみるわ 諸葛亮は内政で忙しいから戦争なんかしとる暇ないんよな >>203
蜀の青銅器の遺物とかヤバかったよな
雲南の謎の古代文明って雰囲気すごかった >>197
そりゃ劉備に仕えるまでは恐らく完全ニートやからな
ただ諸葛氏なんでさすがに婚姻で荊州名家のホウ氏や有力豪族の蔡瑁一族とも繋がっている >>197
徐州から逃げて来てたんやから見つからないようにしてたか見つかっても使える気はさらさらなかったやない 蜀科
諸葛亮の主導のもと、法正、伊籍、劉巴、李厳が関わった
関羽のところに李厳つけたらどうなったんやろ >>175
なんで劉曄ってこんな格好良い逸話ばっかり残ってるんやろね?やっぱり血統主義故の優遇なんやろか >>191
知らないはずはない司馬徽門下がわんさか魏に行って要職ついてるのにその頃の諸葛亮が単に曹操が評価するほどの人物じゃなかっただけやろ >>202
正史だと注釈に扱われてる
魏書だと正当防衛だよって書いてあるけどな ちなみにパパスは君主としてはクソ無能やで
国政放棄して息子と旅行中に魔王軍に暗殺される 孔明好きすぎて雲南に留学したあの漫画家だけは尊敬できる
漫画はクソおもんねえんけどな >>196
微妙に三国ごとに違うのもめんどいわね
基本将軍とそれに属官が付くけど官位によっても変わるっぽいし >>217
李厳も性格に難ありって評価やから最悪内部分裂やろな >>208
元々京劇でも美丈夫って描かれ方してなかったっけ >>198
裏切ったというより完全に取り残されて生け取りにされたんやけどな
魏に降ってからも劉備を信用し切ってて自分が魏に降ったことはやむを得ない事でその事で自分の家族に劉備が危害与える訳がない
劉備はとっても良い君主で大好きですって曹丕にもハッキリ言うてはる
そういう黄権だからこそ曹丕は気に入って重用し、魏の人々も新しい君主に媚びないだけじゃなく旧主への信義も貫くホンマもんの男やでと一目置かれた そういえば劉備が泊めてもらった主人の嫁の人肉出されたってエピソードあったな
あの時の中国まぢえげつない >>212
サンスイセイ文化やっけ?あれおもろいよな京極夏彦が小説のネタにしてたから知ったわ 歴史的に見たら求賢令と屯田政策をやった曹操がやっぱ偉大やわな
隋唐の科挙律令体制の元になったわけやし 関羽が生きてた当時って
潘シュンは評価されてなかったんやろか
後の活躍からして荊州任せられる器やろ
>>224
やっぱそうか 横山三国志は趙雲がドカベンで張飛がかっこいいんよな >>217
性格的にやばかった可能性あるけど
そのメンツだと出自官位低いから案外目下格下はちゃんと使ったかもな >>225
それをドカベンにする横山光輝のセンスよ 歴史的に正しい衣食住兵装で三国志描いたらどんな感じなんやろな >>217
李厳は内乱の多い地域でその治安維持活動と内治の上手さを発揮していたから李厳の移動は北伐開始までは移動させんかったと思うで >>235
まず青龍偃月刀と蛇矛もないし鞍も鎧がないから騎馬戦まともにできんやろな >>230
思いっきり劉表劉備に信任されていたが関羽は冷淡に親交を結ぼうともしなかった陳寿に書かれてるので
関羽の名士名声持ちアレルギーでアウトです 蜀内の番付で言えば李厳孟達黄権は有名やけど張嶷馬忠辺りは評価低いのなんでなん? >>230
劉備は信任して役職上げたりしたけど当の本人が関羽と協調しなかったからな
他の連中が呉に降伏しても家から出ずベッドに引きこもって最終的にベッドごと引きずり出されるくらいには忠義果たしてた >>237
そんなやつおらんしそもそもヒゲがでしゃばるから無駄やぞ 孫権の(というかヒゲの)機嫌を損ねず蜀呉同盟を維持するには
魯粛があと30年長生きして…いてもダメやろな >>226
曹丕「そなた(黄権)が魏に従ったのは韓信、陳平の例に倣ったからよな(そして余が劉邦ドヤァ)」
黄権「蜀主(劉備)に思う所など無いで、死にたくなかったからや」 >>237
馬良は将来的にはその候補やったやろうけど漢中王劉備誕生時点ではまだ30そこそこの若造やったからな >>247
魯粛が30年生きて張昭が50年くらい長生きせんとあかんな 南部の孫権は稲作地帯っだから米の飯を毎日食えてたけど
北部の曹操は小麦地帯だからパン食(饅頭・マントウ) >>243
祝融に2人揃って生け捕りにされたのがアカンのとちゃう?
逆か?評価低いから演義で祝融にボコられる役になったのか? >>247
魯粛はアレで荊州奪還派の最先鋒だからなぁ 西洋の戦争
・国民の為に死に物狂いで戦った本物の戦争
支那
・ただの内輪揉め >>239
蛇矛は中国の青銅文化期のものが見つかったから存在自体は三国志の前からあったみたいやで
張飛が使ってたかは分からんけど空想上の武器では無くなった >>243
異民族平定組だからじゃないか?
張嶷は諸葛亮や姜維の北伐で従軍してるけど >>251
あの頃の江南の生産事情なんか知れてたらしいけど統一して大規模な開発乗り出した最初の人やから一番重要人物なのは孫権やとか >>259
江南が開発されたのは呉からやしかなり歴史的な人物ではある >>243
二人とも南中太守で実績積んだというポジション的に縁の下枠だからじゃない?
しかも実は225年以前の経歴書かれてないし(だから演義南蛮で出番&噛ませにされた) >>256
そうなんや…発掘は進んどるんやな…
そのうち夏王朝の実在も証明されそうやな >>248
曹丕「はえーこいついい返事するやん」
曹丕「おっ于禁!パッパの墓作ったんやで!ちょっと参拝しようや」 >>265
公孫瓚荀彧も史書に見た目に関する記述があった気がする >>261
張飛差し置いて漢中太守に抜擢されたのに楊儀シバいたばっかりにね… >>269
>>270
荀彧人脈豊富なイケメンとか陽キャすぎるやろ >>265
文醜はガチでブサイクだったけど顔良はイケメンだったかどうかは分からんってどっかで聞いた 空想上の武器と言えば鈎鑲って武器が厨2っぽいけどコイツも発掘された。
小さめの盾の上下に矛を備えて盾の前面には鎌みたいなのが飛び出てる。
一応盾の一種という扱いだから右手には剣を持つのが一般的だったとか。
曹丕が得意としてたらしい。 >>275
刺青が良し悪しや聞いたけどな
あの二人は異民族やろ多分 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています