【悲報】理解ある夫くん「『優しい人が好き』という妻に疲れた……」
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>>14
それの何が問題や?なんGやって嘘つきばかりやろ >>3
長いこと同居してみないと意見のすれ違いは早々生まれんしそこでようやく我の強さが半端ないと気づいたんやろ そんなドクズと結婚するなよ
よっぽど美人やったんか 男が折れることが夫婦円満の秘訣だからしょうがないね >>18
普通ぐらいのルックスだとしても弱者男性以外はこんな見えてる地雷は避けるから相対的に見た目が良い方なんやろな >>15
そりゃ問題やろ
嘘で盛り上がる匿名ダイアリーを後追いで乗っかってるだけじゃ実況じゃないやん 実際結婚前に同棲期間はあったほうがいい
すり合わせ不可能な場合もあるから >>3
彼氏彼女の関係なら優しい人が好きでもうまくいくけどパートナーになったらそれが重荷になったんやろ 自分の自己中を受け入れてくれる人を優しい彼氏、理解のある彼氏と呼んでるだけやろ >>25
罪悪感を植え付けて有利に運ぼうとしてるだけやろ >>22
あったほうがいいし、価値観もわかるけど、子ども出来たら変わるから結局意味ないよ >>22
同棲期間は基本マイナスになることはあってもプラスになることはないからなあ
同棲したらわかったことで別れることはあっても同棲したから結婚するとはならんやろ >>31
分からせる必要なんてないやろ
性別関係なく性格やばいやつと関わっても損しかないから関わらないのが一番 こういう女は大体容姿が良いからな許されてきた
年取って容姿が落ちればそりゃこうなる 優しい人が好き言うとる奴は全員そうやろ
気づくの遅過ぎや 女って人生イージーモードだな
基本男が全部譲歩してやってることわかってるんかな? >>35
同棲の結果得られた情報をもとに破談したほうがいいと判断したならそれは得してるやろ ずっと逃げてるだけやのに
僕って優しいのに妻がさあ! とか言ってるコイツも大概や 舐められてるんよ。女は尊敬できる男には素直で従順なもんや。要は男がゴミ雑魚なだけ。 ワアもヨッメ甘やかしとるけど対話はできるし柔軟な頭しとるな
嫁ガチャ当たりやろか >>42
それは評価する側にとっては得してるけどされた側にとっては損してるって考え方やな
考え方次第やしお互いが求めてたら同棲もいいところあるやろけど
とにかく結婚したい!っていう層からしたらメリットないんや >>44
これはあるな
所詮舐められてるだけ
人間も犬と同じで格上には尻尾を振り格下は見下すもんや 理解ある夫くんがDVかます漫画の画像貼ってないじゃん >>42
同棲までして別れたらどっちにしろ後々めんどくさいゾ… 理解ある彼くん←いる
理解ある彼女ちゃん←存在しない
何故なのか? 同居してれば変だなって気付けたかもしれんけど普通に付き合ってるだけじゃ分からんよな はてなってこういうの爆釣するよな
シャチガイジとか大人気になれると思うで わいの職場にもこういう女いるんだけど
昔もいたし
マジでこういうのって女 なんだよな こういう女と平和な結婚生活を送る方法はある。まず家庭は安らぎの場だという先入観を捨て、帰宅したら最大限の緊張を保ちつつ、言動に細心の注意を払い、一歩家の外に出ればホッとするぐらいでなくてはならない。これだけ注意すれば、妻の怒りの1割は減らすことができるはずだ。
こう書くと、「結婚するな」と言いたいのかと思われるかもしれないが、わたしが言いたいのはその逆である。結婚には幾多の欠点があるが、それを補って余りある利点がある。
ソクラテスは結婚すべきかどうかを聞かれ、「結婚すべきだ。良妻に恵まれれば幸福になれるし、悪妻なら哲学者になれる」と答えたという。この話を聞いて、だれもが「ははん、いい妻を娶ればいいんだな」と思うだろう。10人の男が10人ともそう思う。そう思うのは勝手だ。「男を見る目のある女がいないからモテないのだ」とか「自分は才能があるのに認められないだけだ」などと思うのも自由である。どんな妄想を抱いても現実に通用しないだけだ(わたしの知るかぎり、「良妻」は妄想の産物だ。良妻と黄金の山は地上には存在しない)。
問題は悪妻に絞られる。「悪妻をもった哲学者」は二重苦である。長年哲学者をやっているわたしが言うのだからたしかである。ただ幸い、哲学者になる人は少数だ。ふつうの男はそれより軽度の不幸に耐えればいい。
多かれ少なかれ不幸になるのは事実だが、それでも結婚すべきだとわたしは言いたい。結婚しなければ苦労も苦悩も屈辱も絶望もない。人生の重要な半分を知らないまま死んでいいのか。安楽なだけの人生は、波乱のないドラマのようなものだ。そんなドラマを見て面白いか? わさび抜きの握り寿司を食べておいしいか(わたしは刺し身さえついていればいいが)? 障害を乗り越える喜びも、乗り越えられない悔しさも、妻が外出したときの束の間の解放感も味わえなくていいのか。人生を悔いなく味わい尽くしたいなら、ぜひとも結婚すべきだ。
それでも結婚は犠牲が大きすぎると思うかもしれない。検討してみよう。 自由にはさまざまな種類があるが、そのいずれも結婚は奪ってしまう。ある意味ではその通りである。たとえば結婚すれば自由に金が使えないのはたしかである。だが、自分の小遣いを増やしたいならもっと稼げばいい(わたしがいつも妻に言われていることだ)。月収を10万円増やせば、交渉次第では、1カ月あたり500円から1000円は小遣いを増やしてもらえる可能性がある。
また言論の自由もなくなるのはたしかである。必要以上にしゃべると逆鱗に触れる恐れがあるからだ。だがそれだけことばを大事に使う習慣が身につくことを忘れてはならない。だいたい現代人はことばを粗末に使いすぎているのだ。できれば平安時代の貴族のように、男女の間では和歌でしかやりとりしないようでありたいものだ。
忘れがちだが、沈黙する自由もない。妻に質問されて何も答えられずに黙っていると「何か言いなさいよ!」と叱られるし、妻の料理を食べて黙っていれば批判と受け取られるから、黙って食べることは許されない。食べた感想は「おいしい」とその同義語しか認められない。服などを買いにいって、「どっちが似合う?」と聞かれたときも、口ごもってはいけない。
「どっちも似合うから2つ買えば?」と言わなくてはならないらしい(それを知ってから、そう言おうと思っていたら、妻は1度もわたしの意見を聞かない。わたしに聞いても意味がないと思って相談なしに買っているのだ)。 話す自由はないかわりに、話を聞く自由は十二分に保証されており、つまらない話をイヤというほど満喫することができる。退屈だと思うかもしれないが、実はスリル満点だ。長々と聞かされるうちに真剣に聞かず、適当にあいづちを打ってすませるようになるが、あいづちを間違えれば激怒されるし、後で「聞いてなかったの? あのときバッグのお金を用意しておくと言ったじゃない!」と言われるから、気が抜けない。どこに地雷が埋まっているかわからないスリルがあるのだ。慣れてくれば、脳の4分の1を使って話を聞く能力が身についてくるから、会社の会議などに応用できる。
結婚すれば行動の自由も制限され、趣味やギャンブルにハマることは許されなくなる。だが、社会の中にいるかぎり、独身でも万引や空き巣などの行動は規制されるのだから、不自由なのは程度問題である。そんなに自由に行動したいなら、無法地帯で暮らして被害者になる覚悟があるのか?
行動の自由が奪われたら、冤罪で刑務所に入ったと思えば問題ない。しかもその刑務所の運営費は自分が出していると思えば気も安らぐはずだ。安らがなくても、自分は無実だと思っていられるから心配はいらない。
そもそも家庭にも人生にも安らぎを求めてはいけない。安らぎは地上にはない。安らぎを人生に求めるのは、魚を買いに八百屋に行くようなものだ。安らぎは死んだ後の楽しみにしておけばよい(地獄に落ちてはいけない)。 たしかに自分の時間はなくなるが、社会生活を営む以上、時間の制約は当然だ。犬を飼っても決まった時間に散歩に連れていかなくてはならないのだ。かりに自分の時間が確保できても、金がなければ暇をもてあますだけだ(それが実感できなければ、図書館にあふれている定年後の中高年男を観察すればいい)。金があればギャンブルなどに使って妻の怒りを買うだけだ。自分の時間がないぐらいのほうがストレスもない。多くの動物は生き延びるために死ぬまで働きづめで、ストレスを感じる暇もないのだ。それを見習えばいい。
空間も同じだ。自分の書斎をほしがる男がいるが、空間が与えられれば効果的に使えるのだろうか。机の引き出しでさえ、効率的に使っている人が何人いるだろうか。机の引き出しもちゃんと使えなくて何が男の空間だ。まともに空間を使えない者が自分の空間を要求するなど、贅沢すぎる。女は自分の部屋など要求しない(家全体が女のものだからだ)。自分の部屋をもってもどうせ生産的なことはしないのだ。せいぜい爪を切ったり耳掃除をするのが関の山だ。わたしは自分の部屋がなく、居間で執筆の仕事をしているが、居間にはテレビもステレオも冷蔵庫もあって快適である。
だが結婚して長年たつと、居間も含めて自分の家に「居場所」がなくなるのは事実である。家のどこにいても妻が邪魔物扱いにするからだ。不当だと思うかもしれないが、考えてもらいたい。大きくて捨てられないゴミが家の中にあったら、だれもが邪魔だと思うはずだ。女の目には夫がそう見えているのだ。ただ、男も動くことはできるから、家事を手早くすませたら、速やかに外に出るのがよい。そのために公園があり、図書館があり、デパートの階段わきには椅子が置いてあり、区役所や銀行や証券会社には立派なソファがある。しかも冷暖房つきだ。 結婚すると、妻の厳しい評価にさらされることになる。結婚前は自信にあふれ、怖いもの知らずだった男が、妻の顔色をうかがうようになる。結婚後10年もたてば、男の評価は急激に下がり、ゴミ扱いされるようになるから、自分でも、給料を稼ぐ以外に自分の価値があるのかわからなくなる。それが気に入らないなら、自分の価値を数え上げてもらいたい。驚くほど価値がないことがわかり、妻の厳しい評価こそ自分の真の価値だと知るはずだ。
妻の厳しい視線にさらされるおかげで独善的にならないですむのである。何となく自分はひとかどの人間だと思い込んだまま死んでいくところを救ってもらったのだ。自分がただのゴミだと知って初めてゴミから脱却する努力をするようになり、努力して初めて半人前になり、家庭内順位がバッグの下から、犬の下にまで昇格する。
労力を自分以外のことに使わなくてはならないのはたしかである。夫婦で分業だとしても男のほうが労力を払いすぎており、不公平だ。こう思う男もいるが、口が裂けてもそんなことを妻に言ってはならない。妻は自分のほうがはるかに家庭のために自分を犠牲にしていると思っているのだ。
そもそも男が共同分担というケチくさい考えでどうする。家事を妻まかせにすると、まずい料理を文句も言えずに食べ、お茶1杯頼むにも遠慮するようになる。そんな卑屈な思いをするぐらいなら、家事を自分が分担したほうがよっぽどラクだと思うはずだ。選ぶ道は2つに1つしかない。卑屈になってでも妻にやってもらうか、誇りをもって家事を引き受けるかだ。わたしは卑屈になるほうを選んでいるが、わたしの父は仕事も家事も子育ても文句1つ言わずに全部1人でやっていたから、やれないことはないはずだ。「共同分担」にこだわるなら、料理と後片付けは夫、食べて批評するのは妻の仕事、家事全般を引き受けるのは夫、遊ぶのは妻の分担だと思えばいい。
もう明らかだろう。結婚は女を増長させるかもしれないが、確実に男を鍛えるものだ。男が人間を叩き直したいなら、座禅して瞑想にふけるより結婚することだ。人格は錬磨され、人生の暗い面、手に負えない面を余すところなく経験できるのだ。それだけメリットがあれば、幸福になる必要がどこにあるだろうか。独身の人には、ぜひ結婚してもらいたい。そしてできればわたしと代わってもらいたい。 性欲猿の理解ある彼くんが悪いよね
性欲猿でも流石に同じ女は飽きるんだな 女が何も譲歩してないと思ってるクソオスの被害妄想スレ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています