香川・高松一高時代に甲子園で豪打を披露し「怪童」と呼ばれた。早稲田大学進学を望んでいたが、激しい争奪戦の末、プロ野球の西鉄(現西武)が獲得した。

 強打の逸話は枚挙にいとまがない。ライナーを捕った二塁手が勢いに負けてひっくり返り、三塁手の頭のすぐ上を通り過ぎた打球がそのままスタンドインした――。西鉄の本拠地・平和台球場(福岡市)の場外に消えた伝説の「165メートル」本塁打については、本人は「ライナーだったから一生懸命走っていて見ていない」。

 球団事情によって28歳で選手兼任監督に就いた重圧と手首のけがが選手としてのピークを短くした。監督としてリーグ制覇が1回あったが、西鉄の栄光を取り戻すことはできなかった。周囲が持った印象は「弱気で優柔不断」。インタビューでも「こんな優しい男に監督はできない」と冗談めかして振り返った。