中山はやったことはヤバいが事後対応が山川とは全然違うからな
罪を認めて反省&謝罪&示談はマストよ

--
取り調べに対し中山は「11月上旬に腰などを痛めたため沖縄の秋季キャンプから帰ってきたが、婚約者の女性と会えず欲求不満が溜まっていた。(女性の)年齢が高いと自分が『大洋の中山投手だ』と分かってしまうので小さな子を狙った。大変恥ずかしいことをしてしまった。深く反省している」などと供述した。

中山は捜査一課・金沢署による取り調べに対し、逮捕容疑の強制わいせつ事件2件に加え「2件の事件と同じ1991年11月12日、小学4年生の女子児童(当時10歳)の体を触るなどわいせつ行為をした」と3件目(時系列順では最初)の犯行を自供した。

中山は10歳女児に対する事件に関しても強制わいせつ容疑で横浜地検へ追送検されたが、翌1992年1月4日までに逮捕容疑の強制わいせつ罪2件について、中山と被害者との間で示談が成立したため、いずれも被害者側が告訴を取り下げた。

これを受け、横浜地検は同日に親告罪である同罪については不処分とし、公然わいせつ罪についても「既に社会的制裁を受けており本人も深く反省している」として起訴猶予処分とすることを決めた。

その上で地検は同日、勾留期限の切れる翌5日付で中山を釈放することを決め、中山は処分保留のまま拘置先・金沢署から釈放された。横浜地検は翌日(1992年1月6日)付で強制わいせつ容疑について「被害者との示談が成立し告訴が取り下げられた」ことを理由に不起訴処分としたほか、公然わいせつ容疑についても起訴猶予処分とした。