元大洋の中山の事件改めてwikiで見たけどめちゃくちゃなことやっててよく3年で復帰できたなって思うわ


1991年11月12日15時5分ごろ、中山は横浜大洋ホエールズ総合練習場で練習をしてから自宅(横浜市緑区若草台)へ車で帰宅していた途中[7]、横浜市金沢区六浦町の住宅街で近隣住民の小学4年生女子児童(事件当時10歳)に対し、スカートの裾から手を入れるわいせつ行為をした[85]。
その直後となる同日15時10分ごろには住宅街で小学5年生少女(当時11歳)に対し自分の下半身を露出したままスカートの上から尻を触るわいせつ行為を行い[85]、さらにその直後(15時15分ごろ)、同所付近にあった建物の階段で帰宅途中だった幼稚園児の女児(当時6歳)をいきなり後ろから抱き上げ[7]、下着を脱がせるなどわいせつな行為をした[44]。

神奈川県警察が事件現場周辺を調べたところ、現場には犯人の体液が遺留されていたほか、「犯人が犯行後に被害者へ手を振り『バイバイ』と声をかけていた」とする証言も得られた[85]。
横浜市内では同年秋ごろから女児への連続強制わいせつ事件が発生していたため、県警は捜査本部を設置した上で[86]、12日の事件を同一犯の仕業と推測し[注 30][45]、被害が多発した時間帯に捜査員が現場付近を警戒するなど、張り込み捜査を進めていた[86]。その結果、2日後(11月14日15時ごろ)には[8]、白・グレーのツートンカラーのベンツ[注 31]に乗った若い男が現場付近で車を降りて周辺を約15分間うろついたり[7]、女児に声を掛けたりするなど[45]、不審な行動を取る姿が捜査員により確認された[7]。

取り調べに対し中山は「11月上旬に腰などを痛めたため沖縄の秋季キャンプから帰ってきたが、婚約者の女性と会えず欲求不満が溜まっていた。(女性の)年齢が高いと自分が『大洋の中山投手だ』と分かってしまうので小さな子を狙った。大変恥ずかしいことをしてしまった。深く反省している」などと供述した