当時ウィーヴァーは、ニューヨーク州エルマイラを本拠地とするオリオールズ傘下ダブルAチームの監督だった。
ウィーヴァーはここですべての選手にIQテストを受けさせ、その結果ダルコウスキーのIQが75(この数値は知的障害認定のボーダーライン)であることが判明した。
ダルコウスキーが度々乱調に陥ることの原因の一端は彼の知能にあると考えたウィーヴァーは、ダルコウスキーに対する指示をなるべく単純なものにすることを決めた。
ウィーヴァーの指示は、「速球とスライダーだけを投げろ。ボールはただプレートの真ん中を狙って低目に投げればいい」というものだった。
これによってダルコウスキーは、ストライクを投げることだけに集中できるようになった。ダルコウスキーの球速ならストライクゾーンに入ればそうそう打てるものではないとの判断によるものだった。
ウィーヴァーの指導によって、1962年はダルコウスキーにとってベストシーズンとなった。この年、最後の57イニングスの成績は110奪三振、11与四球、防御率0.11というものだった。


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