【速報】卑弥呼の墓、九州で見つかる。これにて論争終結!畿内派は総ガイジに!
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吉野ヶ里遺跡 墓の一部出土「歴史的に大きな意味の可能性も」
弥生時代の大規模な環ごう集落の跡が残る
佐賀県の吉野ヶ里遺跡で、
弥生時代後期のものとみられる墓の一部が出土し、
専門家は
「かなり身分が高い人の墓の可能性が高く、
さらに調べれば歴史的に大きな意味を持つ発掘になる可能性がある」
と話しています。
吉野ヶ里遺跡では、
歴代の王の墓とされる「北墳丘墓」のすぐ西側にあり、
貴重な発見があるのではと注目されながら手付かずだった
「謎のエリア」と呼ばれる場所で去年から、
10年ぶりとなる大規模な発掘調査が行われています。
この調査で先月、4枚の平らな石が並んだ状態で見つかりました。
4枚を合わせると全長は2メートルほどになり、
調査を行っている佐賀県によりますと、
墓の「ふた」だということです。
弥生時代後期、1世紀から3世紀ごろの有力者の墓のふたとみられ、
表面には「×」のように見える線が交差した記号のようなものが無数に刻まれていて、
埋葬した際に何かしらの意図を持ってつけられたとみられています。
NHK
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230529/k10014081181000.html ジャップは黥面文身するんだが
そんな風習海神族とか宗像族とか熊襲にしかないのではないか ヤマト王権が中央になれたの何でなん?
あの辺の地域って開拓しやすかった? >>265
漢委奴国の金印も怪しいと言われてるしな
江戸時代の農民が石をちょっと動かしたら偶然発見したというのは考えにくい >>289
ドッカンドッカン燃えてた富士山の麓からでも古墳出てくるぞ 卑弥呼の霊が降りて私の墓はここだよってイメージ飛ばしてもわからんやろな
GoogleAIに任せるしかない >>264
范雎とか実は処刑されとった雰囲気出とるからな >>289
一年放置するだけでも草木がボーボーで何がなんだかわからなくなるぞ >>279
はえー九州が縄文人なの謎やったけどそういうことなんか というかなんGに日本史ガチ勢こんなおったんやな
どこ隠れてたんや 進次郎があの時代にいたら偉人として記録残っててもおかしくないと思う もし九州じゃなかったら佐賀唯一の観光資源である吉野ヶ里遺跡がただの集落跡になってしまう 九州に邪馬台国があってそれが東征してヤマト政権になったとしたら鹿児島に蛮族なんて存在するはずないからなぁ 邪馬台国が佐賀だったとして佐賀に来たいと思いますか?
ちな佐賀 大陸由来の血は関西の方が多いけど九州より盛んやったんか? >>258
>>258
ほんまは呉音漢音以前の上古音を考慮せなあかんよな
日本語の読み方だけであれこれ言ってるやつはアホや >>313
はなわ以外に誇れるものができてええやん 関西人は権威主義的かつ逆張り厨かつ起源主張しがちやから意地でも九州説認めんやろ >>295
蔑称つけるの楽しいからしょうがないね
なんG民も大好きやし つっても磐井の乱とか起きてるし
島根に王朝やってあったのが古代だからな >>313
ぶっちゃけどこが邪馬台国やったとしても邪馬台国を求めてそこに行くことはないから安心せえ 群雄割拠王国だらけの日本列島、全員従えたヤマト王朝が強すぎる
大王と呼ばれるだけはある >>68
狩猟採集時代だとまず王のような大きな権力は生まれないからな >>318
勾玉とか小学校でろう石削って体験するよね >>311
吉野ヶ里遺跡のガイドのおっちゃんが「たまたまここが残っただけでこれくらいの集落は今の市町村の数くらいあった」みたいな謙虚なこと言ってたで >>296
稲作や鉄器の普及は西から進んでいったし関東は水浸しだったので
土地が余ってたのが畿内だった ヤマト王権と全く関係ない勢力だったってことないん? >>325
わざわざ名前残されるくらいなのでよほど大事な公式記録だったはずやのにな どう考えても九州だよな
わざわざ中国から近畿に船がつくわけないやん >>292
古事記や日本書紀をまとめた当時の有力豪族は藤原氏やし蘇我氏を放逐した身からすれば功績をある程度小さくしたいはずやしな。日本にも歴史に残る英雄がいたことを対外的にも示す為に武の英傑としてのヤマトタケルと知の英傑聖徳太子が創作されたのは想像に難くない >>332
あるんやけど色々な関係でそれだと都合がよろしくない勢力も割といるしそもそもなんも残ってないからわからん >>279
せやで
防人の歌とかは昔から残っとる上に現代の研究で阿蘇山の噴火で九州の縄文文化は壊滅したことと遺伝子研究で九州に縄文の血が濃いことは確定したからな
東北人の子孫確定おめ!!! 東遷説が正しかったら渡来人王朝が濃厚になってしまうので消せ消せ消せ消せ消せ >>330
生存者バイアスみたいな話やな、爆撃機のやつ >>330
あそこ昔雷落ちておっさん死んだことあったよな >>330
住めるとこ大体大きな集落あったけど歴史とともに都市化してって
なんもない佐賀だけ遺構が残されたんやろなって >>332
寧ろ関係あるとしてる学説は別に主流じゃない 低気圧偏頭痛で雨予報しただけで国取れるまんこはイージーモードすぎやろ >>332
纏向遺跡と箸墓古墳が邪馬台国の宮都と卑弥呼の墓と考えられるようになったので
ヤマト王権の前身だね この辺り実際確認することができるのは何千光年離れた人たちしかいないんだよな
そこから地球観測できる技術込みで…
そんな日は来ないだろうなぁ >>319
中国から見た蛮族って全部蔑称よな
烏丸鮮卑朝鮮羌南蛮匈奴羯 あれこれ騒いでるけど実際は人の手がついてない山の中に実はひっそり埋まってますパターンとかないんかな >>329
呼子のイカはガチのマジでうんめえぞ
一年中イカが食える
嬉野温泉はまあまあや
デリ以外に遊ぶものはないぞ 資料が少ないというかないに等しいからな
当時の遺跡発掘できてなおかつピンポイントで中国由来の文章やら当時の権力者を示す物品出てこないとおそらく特定はできんやろね >>355
手塚治虫はある時期から馬が日本列島にきたことがわかるから騎馬民族説を火の鳥で描いてたな >>357
そんな呼称してるくせに歴史上負けまくりなんだよね マキムク遺跡見つかった時点で九州の負けやからな
マキムク以上の規模の遺跡ないじゃん九州
別に邪馬台国は九州と言い張ってもさ
同時期に畿内に九州のショボい国より遥かにデカイ国があったこと確定してるわけでさ 弥生〜古墳の頃の関東はどの勢力が支配してたん?
全く知らん そもそも邪馬台国はやまたいじゃなくやまとじゃないのか? >>357
基本中国以外は別称で漢字を当てはめるねん 昔の感覚やと日本海から内陸に行くの散歩感覚やろ昔の中国人の移動力なめるな そもそも吉野ヶ里は邪馬台国じゃないのがわかってるんだが >>363
旧石器時代の陸続きの頃に渡って来ただけではって思う >>322
「筑後国風土記逸文」では磐井は「君」として扱われてるし、そこに記されてる衙頭の遺跡も独特なものだった
継体帝の磐井の乱に対する発言もたかが一豪族の反乱には到底使われないような仰々しい表現が用いられてる ワイは畿内でも北九州市でもなく台湾説をずっと推してる
理由は
・邪馬台国=日本という前提が納得行かないから >>359
ゼロではないだろうけど今の技術でも住みにくいような土地に昔の人が住んでた可能性高いかというとね 最初に日本神話作ったやつって朝廷の意向で作ったんかね?それともヨーロッパの吟遊詩人みたいに個人的なのがスタートなんかな 東北からの防人って移民だったんか?
西日本に移住したのは蝦夷の俘囚やろ、九州以外にもたくさんおったらしいけど >>357
それは新という国の王莽って言う
60万で3万ぐらいの軍に負けたクソバカ皇帝がそういうルールにしたからなんやで
王莽が生きてた頃は高句麗を下句麗って改名したり名前に文字数制限かけたりめちゃくちゃしたんや
それがなぜか続いてしまったわけやな >>368
誰も知らんからこうして議論になってるそもそも関東にまともな勢力が来るようになったのは源頼朝が鎌倉に幕府を開いてからだろ 邪馬台国ってどう見ても「やまとのくに」なのになんで「やまたいこく」って読まれてるんや タイムマシンがあったら過去にいってこのあたりの真実を全て知りたい 今の考古学って発見物がもしゴッドハンドされた物だとしたら見抜けるの? 倭国と支那の歴史的関係は闇の中。歴史家たちはありとあらゆる想像を働かせる。
ただ覚えてほしいのは感情だけはどうやら続いているのかもしれない 九州勢力と関西勢力の大戦の痕跡とかないんかな
当時使われてた武器とか戦いで負傷してる人骨とか 呉王朝の残党か公孫氏の残党なのか
どっちかが大和王朝樹立者なんやろうなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています