【画像】江戸時代の底辺メシwwwwwwwwwww
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魚が食えるのが月2~3回でそれがごちそうやった時代ちゃうんか 底辺でこんないいもん食ってるわけねえだろ
バカも休み休み言えやアフィカス 江戸の話だと
底辺飯食っていたのは下級武士で庶民は
お惣菜とか買って食っていたらしいな
下級武士は米と野菜入りの味噌汁、漬物だけったらしいな
その野菜も庭の家庭菜園で作ったものとか 江戸の町民と地方の農民じゃまた違う食事だったと思うけど
こういうのいつも町民側だよな >>25
今の都市部の庶民は地獄だが
江戸は長屋の家賃も激安だったので
本当生活が楽だったらしいな >>28
岸田インフレのせいか?
可哀相
ワイのガキの頃はもっとうまそうやったで >>28
これは悪夢のミンス政権で決まったんだよね給食 >>32
逆
米価の下落やインフレで
江戸中期以降は武士の方が貧乏だったらしい 武士がどんどん貧しくなってったからこその明治維新だったんやろなって こうした小禄旗本に仕える侍が町人から「三一(さんぴん)」と陰口された三両二分一人扶持の最貧層の武士である[16]。
三一侍は女も買えないし、結婚もできないし、現代と違って年々昇給などしないので、もっと率のいい仕官口を見つけられなければ(大名や大身旗本の家臣は家で固定されているためまず見つからないが)、死ぬまで三一の極貧生活である[17]。
江戸中期以降には物価が上がって茄子鴨焼の初物が7両するのに三一侍たちは相変わらず年収三両二分一人扶持だった。
彼らは一本3両する初鰹など見たこともなく、せいぜい豆腐を拍子木に揚げたあぶたまを菜に酒2合と飯の120文を御馳走とする生活である。 >>32
給料が米払いで家禄扱いだから定期昇給なしで、給与の米価は乱高下するからな 魚や動物狩りして飯食ってた縄文時代とかの人間のがマシな飯食ってるんだろうな >>1
https://www.kabuki-za.co.jp/syoku/2/no222.html
1月29日、浜松宿での食事
白飯、納豆汁、うなぎ豆腐、落葉から、初夢漬、ぼた餅
今回の浜松から次回の池鯉鮒(ちりう)の宿までの間には、舞坂・新居(あらい)・白須賀(しらすか)・二川(ふたかわ)・吉田・御油(ごゆ)・赤坂・藤川・岡崎と多くの宿場がありますが、食べ物の名物としては新居の鰻・二川の柏餅ぐらいしかありません。2月では柏餅は季節はずれなので、鰻を中心に献立を考えましたが、予算との兼ね合いで、うなぎ豆腐を主菜とし、写真のような献立になりました。 >>44
江戸は白米が主流だったみたい
玄米食べてればかからない脚気が江戸で流行して江戸患いって言われるくらいには庶民も食えてた >>21
普通に奴隷おって草
奴隷だけ畳じゃない隣のスペースやし 江戸時代には食ってたかもしれんが絶対底辺の飯じゃないだろ >>21
ワイ3食こんなんでも数日で発狂するわ
食に対する楽しみないやん😰 こういうのでいいんだよって思う朝食みたいな献立
一枚目は味噌汁に具が欲しい 地方行くと基本的に地元で取れるものしか食えないから更に貧しいやろ >>21
ここがどこか知らんけど魚なんて海からの距離で全然値段違うんやないの? たそがれ清兵衛とか武士の一分とかでも中元出てきてたけどだいたい知的障害っぽいのはつまりあれか
どっかの家から役に立たないと追い出されたのを雇ってたのか 現代人の食生活は昔の王族を超えてるって話やから今の見たらたまげるやろな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています