天保12年1月5日(1841年1月27日)早朝の宇佐浦(現・土佐市宇佐町)[5]、14歳になっていた万次郎は、足摺岬沖での鯵鯖漁に出航する漁船に炊係(炊事と雑事を行う係)として乗り込んだんや
ところが、万次郎達は足摺岬の南東15キロメートルほどの沖合で操業中、突然の強風に船ごと吹き流され、航行不能となって難破してしまう[5]で。

5日半(資料によっては10日間[3])を漂流した後、伊豆諸島にある無人島の一つである鳥島に漂着し[3]、この島でわずかな溜水と海藻や海鳥を口にしながら143日間を生き延びた[3]んや。
同年5月9日(1841年6月27日)[5]、万次郎達は、船長ウィリアム・ホイットフィールド率いるアメリカ合衆国の捕鯨船ジョン・ハウランド号が食料として海亀を確保しようと島に立ち寄った際、乗組員によって発見され、救助された[3]んやで