弟子「人は死んだらどうなるのですか?」ブッダ「知らん」 弟子「宇宙の姿は」ブッダ「知らん」
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無記《むき》とは、判断をしないこと、答えを出さないことであります。
時にお釈迦様は、弟子たちから色々と出される質問の中で、特に形而上学的な問題については判断を示さず、答えを出さずに沈黙を守ることで、仏教の実践から外れてしまう無用な論争の弊害を避けられることがありました。
特に十無記として、
一、世界は常住であるのか?
二、世界は非常住であるのか?
三、世界は有限であるのか?
四、世界は無限であるのか?
五、霊魂と肉体は同一のものか?
六、霊魂と肉体は別々のものか?
七、如来は死後存在するのか?
八、如来は死後存在しないのか?
九、如来は死後存在しつつ非存在であるのか?
十、如来は死後存在するものでもなく非存在でもないのか? シバター「『お釈迦様は色んな苦悩を抱えた結果出家した』←現実逃避してやん」
https://youtu.be/0aigOXozgaA じゃあなんで現代の坊さんは死後の魂扱って金取ってんの? >>9
こいつはこんなこと言って疑問から逃げておきながら弟子従えて偉そうに説教してたんやろ
全然ちゃうやん ブッダは苦から脱する方法を教えて回ってただけなのに死後の世界とか宇宙の摂理とか聞かれてもまぁ困るわな 王子の身分で妻子捨ててまで悟ったことは執着捨てれば悩まないだからな
サイコパスちゃうか そらそんな答えの出ないもん考えても悩みが増えるだけだからよ
いらんことするなということ 所詮2500年前の低レベル環境で雑魚相手にイキってただけやからな
現代では通用せんわ その昔お釈迦様は「気持ちがレイムじゃモノホンプレイヤーになれねえ」と言ったそうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています